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廣榮山 蓮華寺

【Koeizan Rengeji】

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受け容れられない現実

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先日、去年まで勤めていた老人福祉施設に面会に行きました。機能訓練の担当だった何人かのお年寄りとお会いしましたが、最後に面会した人のことを少しお話します。

彼女は、岡山のご自宅で脳血管障害を発症し、その場で昏倒したまま丸3日間発見されませんでした。あの状況下で一命を取り留めたことは、奇跡と言っても過言ではありません。ただ、重度の「後遺症」と、たとえようのない深い「喪失感」だけが残りました。そして生活を共にする身寄りもなく、今後介護を必要とする身となった彼女は、特養への入居を余儀なくされたのです。
「何故あの時、あの世に召されなかったのか?」
「何故、死人に鞭打つような仕打ちをなされるのか?」
「他人に迷惑を掛けることも無く、深く信仰もしていたのに、何故こんなに私を苦しませるのか?」
担当になって1年が過ぎ、2年、3年と経っても彼女の心に変化は見受けられませんでした。私たちスタッフに笑顔を見せられることはあっても、その目に活力は無く、人として生活を営む輝きはありませんでした。彼女は、私の機能訓練を一度も拒否することなく、この数年間皆勤でした。でもそれは回復に対しての願望を持って取り組む姿勢というより、ただ摂食や排泄と同じように、日々の「日課」を淡々と処理しているだけのようにも見えました。

人として生活を営む上での意欲の低下。病院や福祉施設においても、それは大きな問題です。特に医療施設での「回復期リハビリ」では、高いモチベーションを求められることがあります。逆に、発症後「ショック」や「否認」「怒り」「抑うつ」等の幾つかの精神的プロセスを経て(正確に言うと、行きつ戻りつの紆余曲折を経て)、患者さんは障害の「受容」「適応」の段階へと向かう訳ですが、後遺症の機能回復に固執するあまり、家庭や社会復帰に向けての時期を見誤り、出口のない迷路に潜行してしまう危惧もあります。
一方、特別養護老人ホームなどの老人福祉施設での機能回復訓練は、利用者がその施設において、自立した生活を過ごせることを目標にした「生活リハビリ」が中心となります。維持期においても、在宅で生活自立度が低下しないように、「楽しく、根気よく、リハに取り組んでいただく」ことをプライオリティの上位に据えてアプローチします。しかし、既に症状が固定し、回復曲線がプラトー(頭打ち)にある方は、モチベーションを維持するのが難しいのです。

私達の命は皆等しく、お日様が照るように、雨が降るように、風が吹くように途絶えます。人生が潰えます。
人の臨終は様々。古希の謂れ(人生七十古来稀也)などもう遠い昔話で、米寿・卒寿を無事迎えられ、老衰など自然死により他界された方。(所謂、大往生される方。)
「最期まで生きてみせる」と家族に誓ったあの方のように、突然命の期限が切られ、自分も家族も追い立てられるように、残された時間を総括しなければならない人たち。
不慮の事件・事故に巻き込まれ、一瞬にして命を絶たれた人。
自死に救いを求めてしまった人。
『終活』という言葉を耳にして久しいですが、諸々の仏典には、臨終の相について説かれているものがありますし、「先ず、臨終の事を習うて後に他事を習うべし。」という宗祖の言葉もあります。今際の際に、自分に与えられた「生」に対して、悔いることのないように、恥じることのないように、各々が与えられた人生を精一杯に生きていくことが、何よりも大切なことだと思います。
『たとえ道半ばで倒れたとしても、次のランナーが受け継いでくれる。』その思いを胸に、我が人生を凛として歩みたいものです。

…と、頭では思っていても、病を患う人達を前にして、救いの手さえ差し伸べられない無力な自分がそこにいます。
“最期まで生きてみせた”あの方は、確かに信仰に救われましたが、あの方の周りには家族や同じ難病患者からの、溢れるほどの慈愛がありました。
セラピストとしての自分の存在価値も見出せず、悩み続けていた頃、植田僧正の御法話に巡り会いました。
「…自分には何が出来るか。何かをしなくては。そんな思いに駆られて何も出来ず、何もしない自分を責める人。」
「業績で評価される現代社会において、何もしないことの大切さをかみしめてみることも必要ではないか…」
『そばにいるだけで』と題したそのお話は、私の胸に深く染み入りました。私は彼女を見ているつもりが、ただ自分のアプローチに対する結果を求めていたに他ならなかったのです。或る日を境に、私達の関係は明らかに変化しました。

久しぶりにお会いした彼女は、当時と変わらぬ笑顔で迎えてくれましたが、身体機能は著しく衰えており、日中はベッド上で過ごされることが多くなったようです。
そして今日も、彼女の傍らで静かに過ごすのです。

月例金曜講話「そばにいるだけで」(平成18年5月12日) 日蓮宗常任布教師 大阪府真如寺住職 植田観樹師)
http://news.d-nichiren.jp/geturei/kowa_H18.html (日蓮宗映像センター日蓮CHのリンク)
http://www.kujhoji.or.jp/get.kouwa/newpage6.05.htm (久城寺様HPからのリンク)
※日蓮CHから閲覧出来ない(エラー)場合は、久城寺様HPのWindows Media Player 用ファイル欄「ダウンロードして聴く」で視聴可能でした。
 

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