@供養の心としきたり ( ー人ー)|||~~~ ナム…彼岸(2)

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第三章 各行事について
 
続・お彼岸特集です!
 
本日の (´ρ)ヘぇー その1 彼岸の始まりの日を「彼岸の入り」と言います。終わりを「明け」とは言いません。彼岸の終わりは、「結願」(けちがん)と言います。地方によると、「結岸」と言うようです (´ρ)ヘぇー
 
その2
春のお彼岸は、あずきの粒をその季節に咲く「牡丹(ぼたん)」に見立てたので「ぼたもち」と言います。秋のお彼岸は、あずきの粒をその季節に咲く「萩(はぎ)」に見立てたので「おはぎ」と言われます (´ρ`)ヘぇー
 
Q36 春分・秋分の日の変化
 
A 太陽が春分点を通過する瞬間を含む日を「春分日」と言い、現在の祝日法ではそれがそのまま「春分の日」になります。
地球が太陽のまわりを回る(公転)ことにかかる日数は三六五日と六時間足らずです。
例えば、一九九六年の春分(の瞬間)は、三月二十日の十七時〇三分でした。そして、翌年の一九九七年は、その六時間後の三月二十日の二十二時五十五分、翌々年はさらにその六時間後の三月二十一日四時五十五分と、春分は毎年約六時間ずつ遅くなっていきます。そのために春分日の日付がずれることがあるのです。しかし、どこまでもずれ続けるのではありません。二〇〇〇年は閏(うるう)年でしたので、一年の日数が平年より一日多く、三六六日ありました。そのため、春分は約六時間遅れると同時に一日早い日付になり、一九九六年の春分の時刻に近い、三月二十日の十六時三十五分になりました。
厳密には、一公転に必要な時間の端数は六時間に少し足りませんので、うるう年が入っても、春分の時刻は、四年前と全く同じ時刻になるわけではありません。このため、少し長期的にみると、春分の時刻は少しずつ早まっていき、二〇二四年からは、うるう年を含む三年間は三月二十日が春分の日で、残りの一年が三月二十一日という組合せになり、さらに二〇五六年からは、毎年春分日が三月二十日になると予想されています。
一方、秋分の日は毎年変わらないものだと思っている方も多いかもしれませんが、春分の日と同じ理由で、年によって変化します。最近毎年秋分の日が九月二十三日なのは、たまたまそういう時期だというだけのことです。秋分の日が毎年九月二十三日になるようになったのは、一九八〇年からのことです。それ以前は、四年に一度九月二十四日が秋分の日という年があり、二〇一二年からは、四年に一度九月二十二日が秋分の日になると予想されています。
 
Q37 春分・秋分が祝日
 
A 国民の祝日に関する法律では、「春分の日」は自然を讃え、生物を慈しむ日。「秋分の日」は、祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日と定められています。
彼岸の始まりの日を「彼岸の入り」と言います。終わりを「明け」とは言いません。彼岸の終わりは、「結願」(けちがん)と言います。地方によると、「結岸」と言うようです。願いが結ばれる日、また、此方の岸から彼の岸に結ばれた日という意味でしょう。
 
Q38 おはぎ
 
A 春のお彼岸は、あずきの粒をその季節に咲く「牡丹(ぼたん)」に見立てたので「ぼたもち」と言います。秋のお彼岸は、あずきの粒をその季節に咲く「萩(はぎ)」に見立てたので「おはぎ」と言われます。
また、ぼたもちは「こしあん」で作るのに対して、おはぎは、萩の花に見立てて「粒あん」で作るという説もあります。
他に、餡(あん)を付けたものをぼた餅と呼び、きな粉をまぶしたものをおはぎと呼ぶ場合もあります。
餅米・うるち米の使い方で名前が違うという場合もあります。何れにしても地方・時代・お店によって呼び方が異なっています。
おはぎの習慣は、もともと春には豊穣を祈り、秋には豊穣に感謝して神仏に捧げたものです。
 
Q39 彼岸花
 
A 秋の彼岸前後に開花する花に「彼岸花」があります。別名、曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも言われ、花が「先ず咲く」(マンズサク)ことからこの名で呼ばれたと言われます。仏教的には「天上の花」「赤い花」という意味。四華の一で、見る者の心を柔軟にすると言われます。
田園のあぜに多いのは、毒性を利用して野ネズミやモグラの害(あぜに水漏れ原因の穴をあける)を防ぐとか、飢饉のときに毒抜きして食べるための「救荒植物」だと言われています。
 
Q40 彼岸の迎え方
 
A 彼岸の入りになると、家の仏壇を綺麗にし(仏壇の項で後述)、花を新しくし、季節の初物や故人の好物をお供えします。また、お供え物として彼岸団子、おはぎ、五目寿司を作ります。
彼岸中の一週間は、特に欠かすことなく毎朝お仏壇にお線香や灯明をあげてお参りし、彼岸中の七日の間に家族揃ってご先祖様のお墓参りに行きます。
お寺で修されるお彼岸のお勤めにもすすんで参加しましょう。
彼岸会には以前、住職が高座に登って、お参りの人が志す精霊の為に、諷誦文(ふじゅもん)を読み上げて、回向する寺院もありました。その為、今でもお供えの所に「諷誦」と書かれるお方がおられます。しかし、最近の彼岸回向は、塔婆回向や読み上げ回向に変化しているようです。
諷誦とは元来、経文などを一定の節まわしで暗誦することですが、広く死者の追善法要などに際して、供養の趣意を記した文章を施主から僧に捧げ、僧が法要の中でその文章を読み上げることが行われるようになりました。その文章を請諷誦文(しょうふじゅもん)、または単に諷誦文と呼びました。
 
★大阪豊能宗務所発行『供養の心としきたり』より★

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