こんにちは、副住職です。
12月19日に、平成28年の納めの御題目講を奉行致しました。
年内最後ということで、多くの檀信徒の皆様にご参拝いただき、誠にありがとうございました。
皆様と共に一年間を無事に過ごせたことに、感謝の誠を捧げる御題目講となりました。
さて、御題目講の際の住職の法話を今回もまとめましたので、是非ご覧ください。
12月の御題目講では、今年お亡くなりになられた著名人の方を紹介し、皆様と共に偲ぶのが恒例となっております。
平成28年に亡くなられた方としては、蜷川幸雄さん、大橋巨泉さん、平幹二朗さん、中村紘子さん、千代の富士貢さん、モハメド・アリさん等がいらっしゃいますが、今回は特に、7月7日に亡くなられた放送作家でタレントの永六輔さんの生涯に関して皆様にご紹介したいと思います。
これからお話しする内容は、NHKテレビの「時論公論」で7月13日に放送された「永六輔さん生命のメッセージ」という番組(名越章浩解説委員)を参考にさせていただいております。
テレビやラジオで幅広く活躍した放送作家でタレントの永六輔さんが、7月7日、83歳で亡くなりました。
常に庶民の視点に立ち、“生命”の尊さを折に触れて訴えてきた永さん。
その思いには、どんなメッセージが込められていたのでしょうか。
【永六輔さんと戦争】
永さんは、生涯を通じて反戦・反骨の精神を貫いた文化人として知られました。
その原点は何だったのでしょうか。
永さんは、昭和8年に東京・浅草のお寺(浄土真宗系の最尊寺)の住職の息子として生まれました。戦争が激しくなる中、学童疎開で長野県の知り合いの家に疎開しました。
昭和20年3月、卒業式のために東京に戻っていた1つ年上の6年生たちが東京大空襲に遭ったのです。
永さんは、このときの記憶を振り返り、涙ながらにこう語りました。
「東京に向かって子どもをいっぱい乗せた列車がどんどん走った。そして東京で死んだ子どもがいっぱいいた」
多くの子どもたちの未来を奪った戦争に「NO」を突きつける、永さんの原点がここにあります。
【終戦の日に見たもの】
永さんは、長野の疎開先で終戦を迎えました。
そのとき学校で見た光景が、子どもだった永さんの脳裏に焼き付けられました。
永さんや、漫画家のちばてつやさんらが、自らの終戦の日の記憶を記したパネルの展示会が、平成19年に札幌市で開かれました。
永さんは、こう記していました。
「先生が教壇に土下座をしたまま僕たちに言った、『神の国だから負けないといったのは間違いだった。日本は負けた』」
先生が子どもたちに謝り、「切腹して責任をとる」とも言ったそうです。
この先生は、前の日まで、竹槍の使い方や切腹の作法を教えていた人でした。
正しいと教えられてきたものが、逆転する瞬間。
自分の目でしっかりと真実を見極めないと、世の中は一瞬にして命を絶つことになるかもしれないほどの逆転があり得るんだという、強烈なメッセージです。
【名曲に込められた“思い”】
永さんの“生命”のメッセージは、作詞家として数多く生み出してきたヒット曲の中にも表現されています。
NHKの人気バラエティー「夢であいましょう」から生まれた歌「上を向いて歩こう」も、その1つです。
実はこの歌は、60年の安保闘争の翌年に発表されました。
永さんは60年安保闘争の際、当時の若手文化人と共に安保反対を表明していました。
歌詞には、安保闘争の後の「空しさ」のほか、当時の日本人の様々な思いを込めたと、生前、永さんは言っていたそうです。
戦後の荒廃から歯を食いしばりながら立ち上がった日本人。
市井の人々に常に寄り添ってきた永さんらしい歌詞が、困難に立ち向かう日本人の心の支えとなり、時代を超えて愛され続ける名曲を生み出したのだと思います。
【平和を願う強い思い】
去年(平成27年)12月、平和を願う永さんの強い思いを、改めて知る機会がありました。
作家でタレントの野坂昭如さんの葬儀に、病と闘う永さんが車いすで参列し、遺影に向かって、震える声でこう語ったのです。
「僕が大好きな言葉は、野坂さんの言った言葉で、二度と飢えた子どもの顔は見たくない。
もう一回言います。二度と飢えた子どもの顔は見たくない」
涙ながらにあえて二度繰り返した戦争反対のメッセージは、子どもたちの幸せのために、自分がどう生きていくのか、その覚悟を親友の言葉を使って誓っていたように思います。
野坂昭如さんといいますと、映画「火垂るの墓」(スタジオジブリ制作)がすぐに思い起こされるかと思います。
この「火垂るの墓」は、野坂さん自身の戦争体験を題材にした作品であります。
兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台として、戦火の下、親を亡くした14才の兄(清太)と4歳の妹(節子)が終戦直後の混乱の中を必死で生き抜こうとしますが、その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語です。
蛍のように儚く消えた二つの命の悲しみと鎮魂が表現されています。
その野坂さんの葬儀の際に、「二度と飢えた子どもの顔は見たくない」と語ったことこそが、永さんの平和を願う強い思いだったのではないでしょうか。
【ラジオと「想像力」】
生きる喜びや平和の尊さを、難しくない言葉でより多くの人に伝えることができるメディアとして、永さんはラジオを大切にしていました。
それは、「想像力」によって、より大きな力を持つメディアだからです。
永さん自身が、こんなエピソードでラジオと想像力について、わかりやすく解説したことがあります。
車の中で、NHKのラジオを聞いていたときの話です。
アナウンサーが、ある町で、おばあちゃんに、亡くなったご主人についてインタビューをしていたそうです。
アナウンサーが、「おじいちゃんが亡くなったのを実感するのはどういうときですか?」と、おばあちゃんに聞きました。すると、そのおばあちゃんがしばらく黙っていましたが、そのあと、「背中がかゆいとき」と言いました。
永さんは、このとき、車の中でウワッと泣いたそうです。
耳で聴くだけなのに、映像が無いことによって、逆に聴く人の想像力が増します。
想像することによって、おじいちゃんの生前の優しさや、この夫婦が背負ってきた人生の厚みまで、リスナーに立体的に伝わるというわけです。
映像メディアが発達し、さらにインターネットの普及で、簡単に情報が手に入る便利な時代になった今だからこそ、永さんは、常に、想像力を働かして、あらゆる角度から物事を見ることの大切さを伝えようとしていたのだと思います。
【病気と向き合う患者の意識を変える】
例えば、病気と向き合う患者の意識についても、違った角度から考えてみようと発想した永さんは、かつてNHKの番組に出演した際に、こう語っていました。
「闘病は闘う病気と書きます。
病気と闘って勝てるもんじゃないです。必ず病気の方が勝ちます。
勝負のわかったことは、しないで、病気と話し合う、ドクターや看護師さんと話し合うっていうことを大事にして、できることならば、日本の医療制度を患者が変えていく」(平成24年7月放送「視点・論点」より)
患者の意識を変えようという発想です。
永さんは、以前から「いい患者になるための10か条」というものも提案していました。
例えば、「お医者さまと『さま』をつけない」、というのは、日本人は医者を崇めすぎる傾向があるけれども、本来は対等な関係だということを伝えています。
ほかにも、「おとなしい患者だと思わせない」とか「簡単には告知をさせない」などがあります。
そして、中でも永さんらしいのが、「生命の終りを考えない」。
患者は、いつ死ぬのかなどと考えないようにすべし、ということです。
逆に、「ずっと生きていると考える。予定もどんどん作る。10年後にどこに行きたいなとか、先の先まで考えておく。すると、それを目標にして生きるようになる」と、永さんは語っていました。
永さんはその言葉通り、パーキンソン病を患ってからも、自身のラジオ番組への出演を続けました。
200万部を超えるベストセラーになった著書『大往生』では、自身の死生観をこう綴っています。
「人は死にます。必ず死にます。その時に 生まれてきてよかった 生きてきてよかったと思いながら死ぬことができるでしょうか そう思って死ぬことを大往生といいます」(永六輔著『大往生』より)
旅に出るのが好きで、見た物、聞いた物をラジオで話すのが好きだった永さんにとって、思うように体が動かなかった晩年はつらかったかも知れませんが、最期は自宅で家族に看取られながら、穏やかに息を引き取ったといいます。
まさに、生きてきて良かったと思える、大往生だったのではないでしょうか。
その人生や、数々のメッセージからは、“生命”ある限り、どう生きるのか、そしてどう生きたいのか、想像力を働かせながら考えて欲しいと、私たちに問い続けていたのではないかと思います。
NHKの「時論公論」では、永六輔さんの生きざまについて、以上のような内容が解説されていました。
私自身も、若い頃は永さんが出演された日本テレビの「遠くへ行きたい」を見て旅行に憧れ、また去年まで続いたTBSラジオの「土曜ワイドラジオTOKYO」を聞くのを楽しみにしておりました。
その永さんの底知れぬ魅力が、とても端的でわかりやすく表現されていましたので、名越章浩氏の解説をここに引用しながら紹介させていただきました。
皆さんにはそれぞれ自分自身の人生を振り返ってみて、「ああ、生きてきてよかったな」と思える瞬間が必ずあるのではないかと存じます。そして、自分はまだまだ死なないんだと、いつかは死ぬことを受けとめながらも、明日の目標や来週の目標、来年の目標、10年後と…どんどん目標をつくっていくというのが、前向きに生きることではないかと思います。
それは決して自分本位ではなく、人様のために、いわゆる「世のため、人のため」に、自分は何ができるのか、自分の役割は何なのかという視点から、命をいただいていくことが大切なことですね。
さて、今月の日蓮宗の聖語は、日蓮聖人御遺文『波木井殿御書』の「艮の廊(うしとらのわたりどの)にて尋ねさせ給へ、必ず待ち奉るべく候」です。
これは、葬儀の引導文として読まれることの多い一節です。
日蓮聖人の私たちに対する眼差しといいましょうか、生きている間、精一杯自分の命を世のため、人のためにどれだけ使っていくかということ。
その余慶の功徳によって、自分自身の寿命を更にいただくことができるのだということが説かれているのです。
この御遺文は、日蓮聖人が亡くなる6日前に書かれたと伝えられております。
この世での生命を終えて、魂の世界に赴くときに、どちらの方角を向いたらいいかと迷ったら、艮(うしとら)に向かいなさいと。
「艮」とは、北東のことを指します。日本では鬼門とされる方角です。
では、なぜ北東なのでしょうか。
日蓮聖人の言葉をわかりやすく解説しますと、
インドで悟りを開かれたお釈迦様は、たくさんの教えを説かれましたが、なかでも法華経をお説きになられた場所が霊鷲山です。
そしてお釈迦様が入滅されたクシナガラという聖地は、霊鷲山から北東の方角にあるとされています。
現代の地図によりますと、実際には北から北西の方角に当たるのですが、古代インドの伝承では、北東とされているのです。
このように、お釈迦様が霊鷲山で法華経を説かれ、そして最後、入滅されたクシナガラの方角が艮だとされているのです。
つまり、艮(北東)とは、死に向かって行くべき方角なのです。
自分の死に向かっていき、さらにそれを乗り越えていくという意味が艮という方角には込められているわけです。
実はもう一つ、艮の方角の根拠については、日蓮聖人が晩年の足掛け9年間を過ごされた身延の地から、最後に向かった入滅の地、池上は「艮」の方角にあるとされるのです。
それは、インドの霊鷲山から艮の方角に当たるクシナガラで入滅されたお釈迦様になぞらえて、日蓮聖人も身延を霊鷲山に見立てて、そこから艮の方角に向かうという意識があったとされるわけであります。
ですから、皆さんも1年後か10年後か、50年後か、わかりませんが、いつかはこの世からの旅立ちの日を迎えますので、魂の世界でどちらの方角に行ったら良いかと迷うことがありましたら、「艮」というふうに思い起してください。まぁ、その前に南無妙法蓮華経の御題目を唱えれば、日蓮聖人の魂と共鳴して、導いてくださいますから、方位磁石を持っていく必要はありません(笑)。
御題目を毎日、口癖のようにお唱えしていれば、その声に調和して、艮の方角へと自然に私どもの魂を導いてくださる方が現れるのだといわれます。
実際に死んでみないとわからないことではありますが、死ぬことに対する不安というものは誰しもが持っています。
死ぬことが不安なのは、経験したことがないから。
でも実は皆さん、これは何度も経験していることなのです。
ただ忘れているだけなのです。
私たちは、何度も生まれ変わり、死に変わりをしているんです。現実の世界と魂の世界を、私たちは何度も行き来しているのです。
今はこの肉体と共に、こうした環境の中で、それぞれの考え方や価値観をもって生きている。
それがすべて消え去ってしまうと思うと、不安になりますね。
肉体と共にある命には限りがあります。
しかしながら、この法華経に説かれている永遠の命というのは、姿や形を変えながら、魂として生き続けるのです。その魂は、私たちがお唱えする御題目と共に存在し、御題目はどこの世界でも通用するパスポートなのです。
魂の世界に赴いたとき、現実世界での経験には、すべて意味があったことが知らされます。
たとえ正直者でバカをみるようなことがあったとしても、実はそれで良かったのだと認められるような世界。コツコツ働いて、けっして裕福とはいえない生活を送ったとしても、実はそれが本当の幸せだったのだと感じられる世界。それが魂の世界なのです。
私たちはみんな、そちらの世界に行くのです。
人を欺いたり、嘘をついたりしたような人は、自分の魂を見つめる眼が曇っていますから、なかなかその世界には行けないのかもしれません。
どれだけ充実した人生を送ったか、先ほどの永六輔さんの言葉を借りて表現するならば、「自分の人生を思い返し、嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、憎らしいこと、色々あったかもしれないけれど、あぁ自分が色んなことをこの世で勉強させてもらったな」と魂に刻んでいくしかないのです。肉体には刻めません。魂に刻んでいくということ。
こうして毎月お参りに来ていただいている皆さんは、お釈迦様や日蓮聖人のお話を聞くことによって、魂が限りなく成長されるものと思われます。限りある命だからこそ、尊い魂の修行ができるのです。
お釈迦様、日蓮聖人、そして今は亡きご先祖や大切な方々が、みんな魂の世界で待っておられるんだということを信じるとき、安心して死を迎えることができるのではないかと思います。
とにかく、自分が肉体の死を迎えたときに、どちらへ行けばよいかわからなくなったら「艮」に向かうこと。それよりも大事なのは「御題目」を決して忘れたり捨てたりしないこと。
これだけを最後に申し上げまして、今月の聖語のお話とさせていただきます。
以上が住職の法話でした。
自分の人生の最後に振り返りができるのは、自分自身だけだと思います。
その時に自分の人生は良い人生だったなと胸を張って思えるように、今を精一杯生きて、その経験を魂に刻んでいけるように精進していきたいなと思いました。
来月の妙恵寺御題目講は、1月21日(土)の14時から行います。
毎月19日ですが、1月は21日ですので、お間違いないようにお願い致します。
どなたさまでもご参加可能ですので、ご参加ご希望の方、興味がございます方は、妙恵寺までメールにてお問い合わせいただければ幸いです。
それでは、平成29年も七面山妙恵寺を宜しくお願い致します。
合掌。
裕真。