法話ブログ「素直な心で…」@12月21日、御題目講

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こんにちは、副住職です。
年の瀬も押し迫って参りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
さて、妙恵寺では先日、今年最後の御題目講を奉行いたしました。
今年最後ということもあって、多くの皆様にお参りいただきました。
誠にありがとうございました。


 
今回の御題目講では、いつも行っている住職の法話に代わって、
私、裕真が布教研修所の修了報告も兼ねてお話をさせていただきました。
今回はそのお話の抜粋をブログに書かせていただきます。

 
みなさん、こんにちは。
大変ご無沙汰しております。裕真です。
無事に布教研修所より出所して参りました。
いえ、修了して参りました。
皆様にもなかなかお会いできず、こんなにもやせ細ってしまいました。
研修所は、結界を張っての修行ではないので、食べ物も自由ですし、お酒なんかも飲むことができます。
夜は、お酒を飲みながらの方がみんな腹を割っていろいろな話ができるので、そういうのもある意味での研修かなとは思います。
こういう自由な食事や夜食の食べすぎなどで、
入る前よりも太って出ていく人が多いそうですが、
私は、しっかり自制をして、
さらに皆様にもお会いできない寂しさも相まって痩せてしましました。
何はともあれ、研修中は暖かい応援を賜りまして誠にありがとうございました。
この場をお借りいたしまして感謝申し上げます。
 
さて、せっかくですので布教研修所の生活を少し紹介したいと思います。
研修所の朝は早く5時過ぎに起床、身支度を整えて、
6時からの本土寺本山朝勤と私たちの研修している実相閣での朝勤。
その後、朝食と掃除。
この朝ご飯はご飯の担当の人が日替わりで作ります。
そして、午前、午後と夕方までみっちり講義を受けます。
講義は、法華経講義、日蓮教学講義はもちろん、法話の作り方であったり、マナー講義であったり、本当に多種多様なことを勉強させていただきました。
そして、夕方には、実相閣にて夕方のお勤め。
これもまたいろいろな法式練習をやるので長い。
やはり、教えられるレベルになるためには、自分たちが完璧にしなければいけないので、みっちり行います。
その後は、夕食。
夕食後は、ご供養を頂いた方々にお礼状を筆で手書きし、自分の法話をつくったり、日誌を書いたり、仕事が終われば飲み明かしたりと自分の体力の続く限り、自主研修を行います。
そんな研修所の一日。
このほかにも、研修所を飛び出して、七面山に登ったり、池上のお会式の警備をしたり、こども道場といって一泊二日で小学生の子供たちの先生をしたり。
私自身が一番印象的だったのは、布教研修所史上、今回初めての試みであった僧道林での訓育実習でした。
僧道林というのは、お坊さんの卵たちに4泊5日で一からお坊さんとしての基礎をみっちりと教え込む修行です。
その僧道林の先生として、訓育実習に参加させていただいたことがとても素晴らしい経験でした。
やはり、人に教えるためには、自分がしっかりと出来、理解していないと教えることはできないなと実感させられ、自分の課題がしっかりと見つかった訓育実習でした。
 
このように、本当に様々なことを学んだ研修所ありました。
今回の研修所では、学びと気づきというのがテーマでありました。
「学ぶこと」と「気づくこと」は別々のことのように思いがちですが、
学びを進めていくと、ああそうかと気づくことがあり、
日常生活の中で気づいたことから、さらに学んでみたいという意欲が出てきますね。
学ぶから気づく、気づくから学ぶ。
この学びと気づきの循環の大切さ。
沢山の気づきと沢山の学びを得ることができた半年間でありました。

 
私が半年間で気づき、学んだことの中で1番大切であると感じたことはやはり、信仰心、そして素直な心。
素直な心をもって仏様に手を合わせていくことが1番大切であると感じました。
「本心は水、妄心は氷」という言葉があります。
この本心とは何物にもとらわれず、こだわりのないのびのびとした素直な心。
これは穏やかに流れる水のようなものです。
水は器によって形を変えることができる柔軟性がありますね。
一方、妄心とは、何かを思い詰めてこだわった心で、こちらはガチガチに固まった氷のようなもの。
素直な本心が失われると、心の働きが欠けてしまうようになります。
ですから、本心を失わないようにすることが大切なのです。
本心は水のように素直に流れ、器によって形が変えられるもの。
しかし、妄心はガチガチに固まった氷であって、氷では、手も頭も洗うことはできないのです。
氷を溶かしていくように、自分の心の氷を溶かして、素直な心で何事にも取り組んでいくことが大切だと学びました。
法華経のお自我偈の中にも「質直にして心柔軟に」とあるように
素直な心をもって、心を柔軟にして、一心に仏様への礼拝の気持ちをもっていくことが何より大切なことなんだと気づかせていただきました。
 
この素直な心を持っていけば、自然と周りで起こる出来事が有難いことだなと気づけていきますね。
しかしながら、私たちも人間ですからなかなか素直で綺麗な心を持ち続けるというのは大変難しいことですよね。
日々の生きておりますと、心の中にある色んなドアが開いたり閉じたりしますね。
怒りのドア、悲しみのドア、イライラのドア、はたまた楽しいドア。
自分の中で思っているのとは違う心のドアが突然、ふいに開いてしまうこともありますね。
自分では怒りたくないのに、ふとしたことで怒りのドアがパッと開いてしまう。
こんな経験、皆さんあるかと思います。
そんなときに、素直な心、綺麗な心を取り戻すことが出来るのが御題目なんです。
御題目を唱えている時は、仏様のドアが必ず開きます。
御題目こそが仏様とのドアを開く鍵なのです。
ふとした時に、心の中の怒りのドアが開いてしまいそうになった時は、心の中で御題目を唱えていただく。
そして、お寺にお参りして心からの御題目をお唱えしていただく。
この仏様とのつながりを実感することができれば、日々の生活も素直な心をもって生きていくことができるのではないでしょうか。
この御題目、仏様とのつながりを実感しながら、今後の御題目修行にご精進いただければと思います。
 
以上が私の布教研修所の報告を兼ねたお話でございました。
この後にも法話をさせていただいたのですが、
そちらはいずれ機会がございましたら、お話させていただきたいと思います。
 
来月の妙恵寺御題目講は新年1月21日14時から行います。
今回も19日ではなく21日に行いますので、お間違いなきようにお願い申し上げます。
新年最初の御題目講では、御参詣の皆様の家内安全、身体健全をお祈りいたします。
より良い新年を迎えられるように皆様で共に御題目をお唱えいたしましょう。
通常通り、御祈祷と住職の法話もございますので、皆様のお越しを心よりお待ちしております。
ご興味がございましたらお気軽にメール、電話でお問い合わせくださいませ。
宜しくお願い致します。
 
来る新年が素晴らしいものでありますように、心より御祈念申し上げます。
来年も妙恵寺ブログを宜しくお願い致します。
合掌
裕真。
 

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