こんにちは、副住職です。
去る9月19日。毎月恒例の御題目講とともに、9月は秋のお彼岸会、そして9月19日は七面大明神の大祭にあたりますので、併せた形の法要を檀信徒の皆様と共に営みました。
法要後にございました住職の法話をまとめましたので、是非ご覧ください。
今回は、当山妙恵寺と七面大明神との御縁に関するお話でした。
まず当山の七面大明神の由来についてのお話です。
先月の妙恵寺の成り立ちの話と重なる部分もありますが、妙恵寺の基盤となる七面教会を戦禍の中で守り抜こうとされた先々代の及川錬勝上人の第50回忌法要を平成6年5月29日に営みました。
及川上人は、当山開山の光澄院日幹上人(原錬惠)の幼少期からの師匠であり、時に優しく、時に厳しくご指導いただいた偉大なお上人でした。
日幹上人は、僧侶としての道を開いていただいた御恩に感謝し、また大病を克服できたのも及川上人のご加護の賜物と受けとめて、その報恩として50回忌の法会をしっかりと勤めたいと心がけておりました。
その50回忌を無事に勤め上げまして、3ヶ月後のことです。
とある古物商の方から、
「お宅は七面教会ですよね。実はとても立派な七面大明神の御尊像があるのですが…」
と電話がありまして、きちんとお守りしていただける方を探しているとのことでした。
写真だけでも見てもらいたいということで、送られてきた写真を見た先代の日幹上人は、
「これは昭和20年に空襲で焼けてしまった当時の七面教会にいらっしゃった七面様の御尊像のように、とても柔和な表情で、非常によく似ている」
と直感して、是非ともそれをお受けしたいと思いました。
しかしながら、古物商からの話ですから、かなりの高額なので、一旦は躊躇したそうです。
そんな時に変化の人(お経に出てくる仏様の使いのような方)が現れまして
「お上人、そういうことなら是非お受けしましょうよ!」
と、協力を申し出て下さる方の後援をいただいて、教会にお迎えすることになりました。
特注の御厨子に入れて、開眼供養を行いましたのが、平成6年10月19日のことでした。
亡き師匠のもとにあった七面様と非常によく似た御尊像を、改めて七面教会にお迎えできたということは、非常に不思議なご縁を感じる出来事でありました。
こちらが、現在妙恵寺に奉安しております、七面大明神の御尊像でございます。
先代の日幹上人は、その開眼法要の折に次のような文章を書き残しております。
顧みるに当教会は昭和の初期に恩師及川錬勝上人に依って開創され、その縁起を尋ぬれば、当時、身延山第80世法主市川日調上人(及川上人の師)の代、七面山別当職であった小松海浄上人(武井坊)より法弟に当たる及川上人をして、横浜の地に七面大明神の御威徳を宣布弘通するよう委嘱さる。
及川上人、これを受け、横浜市南区二葉町に教会所を開く。これ七面教会の開創なり。
昭和9年4月、仏縁あって錬惠13歳の時、出家得度し、及川上人の弟子となる。
当時教会に安置せる七面大明神の御尊像は木彫・極彩色なる柔和にして尊厳ある温容の御姿たり。
然るに昭和20年5月29日の横浜大空襲における戦災にて全てが焼失。
及川上人も亦その厄を蒙り遷化さる。
翌21年6月、錬惠、南方戦線より復員、直ちにその復興に尽力。
以来20年の歳月を経て現在の教会所(妙恵寺の前身の七面教会)を再建。
その間、昭和33年日蓮宗身延山大荒行を成満、その折、持仏として七面大明神木像一体造立せり。
爾来、正法弘通、教線拡張、檀信徒の育成につとめ今日に至る。
たまたま、仏縁の致すところか、去る8月末、或処より、由緒深き七面大明神御尊像一体を当教会に奉安されては、との申し入れあり。
一時は辞退したが、再度の要請にて、これが詳細に調査したところ、面貌温顔容姿端麗にして色彩細かに、宝冠・光背等損傷なく、木彫彩色豊かなる御姿は、正に八歳の龍女の変成せる容姿を備え給うが如くであった。
この御尊像の光背に、日養上人首題(お題目)と花押、並んで日治上人花押と「七面大明神」の墨書銘あり、両上人の開眼に依るものか。
そもそも日養上人は養珠院お万の方(徳川家康の側室)の甥にして、玉沢妙法華寺の恵性院日通上人に就いて出家得度、のちに飯高檀林に学び20余年の研鑽を経て化主となり、この間、大野山本遠寺、玉沢妙法華寺に瑞世、寛文12年(1672)6月、両山(鎌倉比企谷妙本寺と池上本門寺)第21世となり、延宝元年2月8日、49歳にて池上に遷化さる。一乗院と号す。なお日治上人については分明ならず、おそらく同時代の墨書銘と考えられる。
以上の調査によりても、この御尊像が三百二十余年の歳月を経たること疑いなしと信ずるものなり。
(江戸時代の初めのものであると考えられます。今から言えば340年前ですね)
憶うに、戦災により堂宇はもとより勧請の諸尊像等、すべて焼失し、師もまた犠牲となり遷化せらる。師の胸中、如何ばかりか拝察するに余りあり。
去る5月には師の第50回忌の報恩法会を営み報謝の意を表せり。
その所以か、師の導きによるものか、今ここに当時の御尊像かと見間違えるほど酷似せる御姿を拝し、再び顕現せられたるの思いにて感激ひとしおなり。
こうした先代の文章が残っているのです。
まさに、平成6年の5月に先々代の50回忌報恩法会を営み、8月に七面大明神御尊像の話があり、10月に開眼法要をおこなった。
こうしたことが、点から線となって、つながっているのです。
七面大明神のご尊像といっても、一般の方はただの仏像じゃないかと思われるでしょうが、やはりそこには目に見えない力が働いているということを先代の日幹上人は深く感じ、感謝の念に堪えないという思いを文章に残されているのです。
このように平成6年に七面大明神のご尊像をお迎えしてから、1年半後のことです。
平成8年4月に、今度は現在の妙恵寺が建つことになる土地の話が舞い込んできました。
さっそく建築の計画を立てまして、さまざまな条件をクリアして、平成9年10月19日に七面山妙恵寺本堂の落慶式を迎えるわけです。
改めてこうした事実を確認しますと、もうこれは奇跡と言いましょうか、先々代の及川上人の思いと、先代の日幹上人の願いが重なり合い、不思議な御縁がさらにつながって、まさしく夢が実現したのであります。
七面大明神の御威徳、それは目に見えない力でありますが、確かにこうして目に見える現象となって、当山に授けてくださっているわけです。
そもそも七面山は修験道の霊場でしたが、日蓮聖人が身延に入られた後に、法華経を信仰する方の守護神として七面大明神が信奉されるようになりました。
そこで、法華経と七面大明神との関係について少しお話いたします。
先ほどのお彼岸法要でお読みした法華経の提婆達多品には、八歳の竜女の成仏ということが説かれております。
インドでも、日本でも、女性差別がある中で、法華経においては、男も女もないんだよ。むしろ男も女性から生まれてくるんでしょ、と説かれ、今から2000年以上も前の法華経では、男尊女卑の思想を否定し、人間は本来平等なんだ、それぞれが皆、尊い存在なんだ。男性は男性の役割、女性には女性の役割がある。皆それぞれの役割に目ざめて実践しなさいと説くのが法華経の教えなのです。
他人と比べて、自分は少し勝っているという程度の優越感に浸っているようでは、浅はかな価値観で終わってしまいますね。
この提婆達多品において、八歳の竜女は、女性は成仏できないという従来の固定観念を覆して、女性でも成仏できるんだということを身をもって示されたのです。
この八歳の竜女の誓いの言葉が、提婆達多品の後半に出てまいります。
「我闡大乗教、度脱苦衆生」→「我、大乗の教をひらいて、苦の衆生を度脱せん」
八歳の竜女は一瞬にして仏の姿を示現しますので、みんなびっくりする。それは、法華経の教えの本質を、万人にわかりやすく伝えて反省を促し、もっと広い心をもって生きなければならないことを教えているのです。
そうした教えを後世にも伝えるために、八歳の竜女は、
「みんなが平等に乗れる船に喩えられる大乗の教えの本質をひらいて、真理に気づかずに苦しみの状態にある生きとし生けるものを仏様の世界へと渡らせたい」
という誓いを立てられたのです。
この八歳の竜女の生まれ変わりが、七面大明神であると言われているのであります。
当山妙恵寺の御宝前の両脇には上記の
「我闡大乗教、度脱苦衆生」の柱聯(ちゅうれん)がございます。
いつも見ているこの五字偈には、こういう深い意味があるんですね。
また、こんな伝説があります。
日蓮聖人が身延に入られてから、ある時、天気が良い日に外の大きな石の上で法華経の説法をしていると、普段見慣れない美しい女性が説法を聞いておりました。
皆がその人を訝しく見ているので、日蓮聖人はその女性に対して、
「あなたの正体を皆に見せてあげなさい」
と言われ、水を一滴ご供養しますと、たちまち女性は竜に変わり、皆を驚かせました。
するとすぐに女性の姿に戻り、
「末法の世の中に、法華経の教えを命がけで弘めようとする人が出てくるとお釈迦様は予言されていました。私は法華経をこの世に弘めようとする方をお守りするために、身延山の隣の七面山に住んでおります」
というと、また竜の姿になって七面山へと昇っていった、という伝説が残っております。
日蓮聖人が入滅されて15年後に、お弟子の日朗上人と、身延山を寄進された波木井実長公が七面山に登られました。
標高1982メートルの七面山で、目には見えないけれども確かな霊気、エネルギーを感じた。それが永仁5年の9月19日のことで、そこで小さなお社を造って七面大明神をお祀りされました。
今では、敬慎院という大きなお堂が建てられて、七面大明神がお祀りされております。
こうした記録に基づいて、毎年9月19日に七面大明神の大祭が営まれているわけでございます。
人間が生きる上での大切な価値観を説かれた法華経、それを日蓮聖人は南無妙法蓮華経というお題目に全ての功徳がおさまっていると説かれました。
たとえお経は読めなくとも、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えすることによって、仏様の智慧と慈悲の全功徳が全てその中に含まれているのであります。
それに素直に従っていこうとする気持ちを持つことが大事です。
その時に心から唱えるお題目によって、目に見えない力を、大きなパワーを、私たちは常にいただいていることに気づく場面があるはずです。
信仰していても良いことがないわと、思われることもあるかもしれません。しかしながら、今こうして生きていられること、病気にもなるし、怪我もするけれど、自分が生きている、というよりも、生かされていることの有り難さに目ざめさせていただくチャンスが、必ず与えられるはずなのです。
御利益というのは、表面的にプラスになることばかりではありません。もともと「利益(りやく)」という仏教用語は、仏さまから教化を受けて、気づき、目ざめをいただくという意味なのです。
私どもは、魂の修行のために生かされているのです。そのことをしっかりと思い起こさなければいけませんね。
少しばかりマイナスなことを経験したときに、「自分は信仰しているのに、なんでこうなるのよ!」
というような文句や愚痴が出るようでは、まだまだお題目を信仰しているとは言えませんね。
一見するとマイナスなことであっても、実は自分にとって必要なことだったんだ。
これは自分が今まで気づかなかった、あるいは見過ごしてしまった大事なことに気づくための試練なんだ、チャンスが与えられているのだと受け容れられるか否かが問われているのです。
お題目、法華経の教えに生きるというのはそういうことであると、七面大明神の大祭にあたって御威徳に感謝すると同時に、先代、先々代の遺徳を偲びながら、お題目を唱えられる喜びを皆様と共に味わうことができれば何よりだと思います。
以上が、住職の法話でございました。
私がまだ7歳の頃に建った現在の妙恵寺。
七面大明神の目に見えない力によってお寺が建ったのかなと感じますと、私も身震いする思いであります。
毎日、手を合わせている七面大明神の御尊像にも、300年以上の時を超えた様々な人の思いが積み重なって今があるという奇跡を感じ、私自身もより一層精進しなければならないという自覚を新たにした9月19日の大祭でありました。
来月の御題目講は、宗祖お会式法要となります。
10月19日10時30分よりお会式法要、法楽加持(御祈祷)。
11時30分より、私、副住職裕真による高座説教を行います。
高座説教を初めて見るという方も、いつもの住職の法話よりはとてもわかりやすいお話をしますので、楽しみにしていただければなと思います(笑)
どなたさまでもお参りいただけますので、皆様のご参詣を、心よりお待ち申し上げております。
合掌。
裕真。