令和5年盂蘭盆施餓鬼会大法要・無事終わりました

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令和五年度盂蘭盆施餓鬼会大法要

抑そも盂蘭盆と申すは源目連尊者の歯は青提女と申す人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道にをち候ひて候を、目連救ひしより事起りて候。然りと雖も仏にはなさず、其の故は我身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし。霊山八箇年の座席にして法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱へて多摩羅跋栴檀香仏となり給ひ、此時母も仏になり給ふ。

 又施餓鬼の事仰せ候。法華経第三に云く_如従飢国来 忽遇大王膳〔飢えたる国より来って 忽ちに大王の膳に遇わんに〕云云。此文は中根の四大声聞、、醍醐の珍膳をおと(音)にもきかざりしが、今経に来て始て醍醐の味をあくまでになめて、昔しうへ(飢)たる心を忽にやめし事を説き給ふ文也。若し爾らば、餓鬼供養の時は此文を誦して南無妙法蓮華経と唱へてとぶらひ給ふべく候。――――四条金吾殿御書
日蓮聖人御遺文検索より、原文こちら

7月7日、大変な猛暑の中、盂蘭盆施餓鬼会法要が行われ、100人近い檀家さん・信徒さんと一緒にお盆のご回向・新盆のご回向をさせていただきました。

13:00
横浜市南区 蓮馨寺住職 辻本学真上人による法話。
日蓮宗伝統、講談や落語の源流になったと伝えられている「高座説教」の形式で行われました。

客殿にはテレビを配置し、インターネット配信をしていた法要を客殿でも見られるようにしておりました。
そちらでご覧いただいていた方も多くいらっしゃったようです。

14:00
大法要が行われました。

法話・法要のアーカイブをyoutubeにアップロード致しております。
どうぞこちらもご覧ください。

お盆について

お釈迦様のお弟子さんである目蓮さんが、餓鬼界に落ちてしまったお母様の苦しみを救うために、修行僧に供養を行ったことが「盂蘭盆経」にあり、その内容が各地の民族風習や祖霊信仰と合同して行われるようになったお盆。一般的に7月もしくは8月の13日~15日・16日として設定され「御先祖様が帰ってくる供養の節目」として、またその節目に当たって一族郎党が久しぶりに集まる機会として大事にされてきていました。
盂蘭盆という言葉は昔のインド語での「逆さ吊り」説やペルシャ語での「霊魂」説、「盂蘭=ご飯・盆=器」説など色々ありますが、いずれにせよ今の自分がここで「あたりまえ」の様に活動することが出来る為にいた多くの先人達に供養の気持ちを向けるのがお盆の期間の大きな意味になります。

お盆歳時記

朔日
「地獄の釜が開く」日だと言われていて、この日から徐々に御先祖さんを迎える準備をはじめていきます。

七日・七夕
棚旗とも書き、御先祖様を迎える場所を整え、御先祖様が着る服をこしら供える日です。

迎え火・送り火
野火を焚いて御先祖様を迎えたり送ったりします。
地方によって送り火は15日・16日に分かれます。
川崎では16日の藪入りが藪蛇と混合して考えられているようですが、送り火の後、御先祖様の世界に帰るのは24日の地蔵菩薩=閻魔様の対または化身の縁日までという説もあります。
また、個別の御仏壇や精霊棚に伺い帰ってきた先祖様に御供養することを棚経(たなぎょう)やお盆回向(おぼんえこう)と言ったりします。
読み方が判らない人が年々増えてきましたね……。

施餓鬼について

当山ではお施餓鬼法要をお盆の時期にお盆の合同供養祭を兼ねて行っているため、お施餓鬼法要はお盆の法要だと間違えられる事が多いですが、厳密には意味合いが異なります。
餓鬼に施すという字そのままですが、苦しんでいる餓鬼、四生六道法界萬霊の諸霊魂に対して「布施」の修行をして供養をする法要です。併せて御先祖様や新盆を迎えられた方への供養を行います。

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