当山「鰐口」の台東区区民文化財台帳登載について

 この度、当山所有の鰐口1口が、令和3年度台東区区民文化財台帳に「台東区有形文化財(工芸品)」として登載されました。
 本鰐口は、その銘文から安政3年(1856)、西村和泉守(にしむらいずみのかみ)の制作になることが読み取れ、当山第25世日随上人(~1856)の代に奉納されました(ただし当山の歴代譜では智祐院日随上人は第27世)。西村和泉守は江戸を代表する鋳物師で、本鰐口は第9代西村政時の作例と推定されます。
 法量は面径31.8cm・胴厚13.3cm、銅製鋳造で、中央の撞座(つきざ)には表裏ともに単弁十六葉蓮華文(たんべんじゅうろくようれんげもん)が、表面の銘帯(めいたい)は題目講中による奉納銘が陰刻されています。
 本鰐口は、近世後期の江戸を代表する鋳物師の活動や鋳造技術を知る上で重要な作品であること、また江戸時代の資料を失っている当山の実態や根岸の歴史を伝える貴重な資料であることなどが、文化財台帳登載の理由となりました。台東区教育委員会生涯学習課編『台東区の文化財』第18集(台東区教育委員会生涯学習課、2023,3)収載。また、台東区のホームページより詳細をご覧いただけます。
 なお、このほかにも当山本堂奉安の木造日蓮聖人坐像は、台東区有形文化財(彫刻)に指定されています。詳細はこちらから。

 上の写真は、昭和32年(1957)頃の本堂南面。当山元総代中村傳吉郎氏親族提供(一部加工)。軒下に鰐口が掛けられているのがわかる。
 正面のガラスに描かれた家紋は、戦国武将の加藤清正の蛇の目紋。昭和40年代初頭まで、当山には、願満清正公が祀られていた。写真では、左下に蛇の目紋レリーフの天水受けも確認できる。
 銅板画「東京市下谷区上根岸町 日蓮宗法住山要伝寺之景」によれば、本堂と清正公堂では向拝(こうはい)の構造が異なること(次下画像参照)が分かり、正面階段や天水受けの存在、堂宇の形状の特色などから、当写真は、清正公堂ではなく本堂のものと推定できる。

明治37年(1904)当時の本堂を描いた銅板画「東京市下谷区上根岸町 日蓮宗法住山要伝寺之景」

旧・清正公堂

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