台東区有形文化財(彫刻)「木造日蓮上人坐像」一躯

 要傳寺本堂に安置されている木造日蓮聖人坐像は、本格的な中世以来の割矧造を用い、江戸時代初期の制作と推定されています。
 その姿は、僧綱襟の法服を着け、七條袈裟を左肩上に結び、左手に経巻を、右手に笏を持し、正面を見据えて結跏趺坐する形状で、玉眼嵌入された美しい瞳と慈顔温容の面立ちが特徴的な肖像彫刻です。
 本像は、平成7年(1995)に東京都台東区有形文化財(彫刻)に指定されました。
 像高41.0cm、頭長14.4cm、面幅9.3cm、耳張11.8cm、面奥14.1cm、胸奥16.7cm、腹奥18.3cm、裳裾奥34.0cm、膝奥29.0cm、膝張38.4cm、袖裾張57.3cm、膝高左8.5cm、膝高右8.4cm。作者・伝来は未詳。彩色は、像表面全体に漆塗を施した、古色仕上げとなっております。

 また、本像台座裏には、正面に「知見院受法信士 妙秀信女/本壽妙清信女 見理院妙宗日悟菩提者也」、左側面に「妙法経力即身成仏/六道四性(ママ)法界萬霊」の墨書銘が確認されます(立正大学日蓮教学研究所調査、平成6年2月1日)。
 要傳寺過去帳によれば、このうち「見理院妙宗日悟」について、寛政元年(1789)5月24日歿の「見理院殿妙智日悟大姉」と同一人物の可能性があることが読み取れ、続柄は「日下作左エ門の母」となっていることがわかりました(『元過去帳』3号906番)。同台座は、祖師像に合わせて作成されているところから、これにより少なくとも祖師像の造立は寛政年間(18世紀末)までは遡ることになります。
 なお、「知見院受法信士」「本壽妙清信女」の法号は記録にみえず、「妙秀信女」は、日下氏以外に数件確認されるので、特定は困難でした。
 要傳寺過去帳の記録によれば、日下氏は、正徳5年(1715)6月28日歿の幽玄院殿宗遠日凉居士(『元過去帳』1号1142番)の記録が初見で、『寛政重修諸家譜』第4輯569頁「日下宗廣(むねひろ)」の項には、「長次郎 作左衞門 實は吉房が二男、母は勝廣が女、宗高が嗣となる。/櫻田の舘にをいて文昭院殿につかへたてまつり、小性組をつとむ。寶永元年西城にいらせたまふのとき、したがひたてまつり、御家人に列し、十二月十二日西城燒火間の番士となり、廩米七百俵をたまひ、三年八月四日廩米を采き地にあらためられ、下總國豐田、相馬海上三郡のうちにをいてたまふ。十二月十九日番を辭し、小普請となる。正德五年六月二十八日死す。年三十三。法名日凉。坂本の要傳寺に葬る」と記されます。
 当山の日下氏は、その後、文久元年(1861)9月26日の記録(『元過去帳』6号193番)を最後に絶えるまで、計15霊の供養の記録がみえ、うち院殿号が6霊確認されております。

 *尚、本像の実物は、当山(要伝寺)の檀信徒および関係者のみに拝観を許可しております。当山関係者以外の拝観、ならびに学術調査等には原則として応じられませんので、御賢察ください。

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