織豊時代から江戸時代初期に活躍した加藤清正(1562-1611)は日蓮宗に帰依した武将のひとりですが、日蓮宗ではのちに清正を異能・権化の人とする伝承が生まれ、清正公大神祇と奉称し信仰する清正公(せいしょうこう・せいしょこ)信仰が盛んとなりました。
かつて要傳寺には、安政3年(1856)に肥後の児玉峻徳が熊本より将来したと伝えられる願満清正公を安置しておりましたが、昭和46年(1971)の改築工事に伴い、同尊像を熊本本妙寺に返還したため、現在、当山には、清正公堂は存在しません。
現在は、かつての清正公堂に掲げられていた「七言妙題化被万国法旗風」「十字鉄槍威服百魔神将霊」の聯句一対が残され、往事を偲ぶことができます。
対聯の寸法は、1基縦193.7cm、横14.7cm、厚1.6cm。聯句は、「七言妙題の化、万国を法旗の風に被(おお)い、十字鉄槍の威、百魔神将霊を服す」と読み下します。清正の軍旗に掲げられた七字題目「南無妙法蓮華経」の経力(「化」とは教化・化導の意)は、ありとあらゆる国を正法の旗風で覆い、清正の手にした十字槍の威力は、数多くの魔神・将霊を降伏させる、という意味です。
当聯板は、明治期の作で、当山檀越で彫刻家の岡村梅軒の手になるもの。