おはつ地蔵縁起

 当山墓域内に立てられた石造おはつ地蔵立像は、「妙生童女」供養のために造立された地蔵尊です。
 大正11年(1922)7月2日、当山檀徒山本春吉の五女はつ(当時10歳)が、深川にあった養子先の松村関蔵宅にて養母の兼崎まきによって折檻を受け死亡した事件で、おはつの死を哀れんだ近所の者達が、供養のために「おはつ地蔵」と呼ぶ地蔵を造立し、蔵前の榧寺(かやでら)や坂本の要傳寺(当山)に納めたと伝えられます。
 今年は、その童女おはつの歿後100遠忌にあたります。
 この事件は、継子(ままこ)いじめの芝居に仕組まれ、映画にも作られて、当時の庶民大衆の涙をさそいました。終わりの場面には、おはつの幽霊が出て、鬼夫婦を苦しめるのがお決まりであったといいます。また、三味線漫談家・俗曲師として知られる玉川スミ師匠が、昭和2年(1927)に芸名を「地紙家澄子」と改名した頃に、「お初地蔵劇団」の座長を務め、「お初地蔵」を演じたこともありました。

【参考文献・資料】
『東京朝日新聞』大正11年7月6日号、同7月7日号、同7月9日号、同7月10日号、同9月28日号、11月21日号、12月14日号
「お初地蔵―大正の継子いじめ―」『東京事件史〈明治・大正編〉』(加太こうじ著、昭和55年9月、一声社刊)

妙生童女供養おはつ地蔵尊

地蔵尊銘文

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