我が此の山は天竺の霊山にも勝れ、日域の比叡山にも勝れたり。然れば吹く風も、ゆるぐ木草も、流るゝ水の音までも、此の山には妙法の五字を唱へずと云ふことなし。日蓮が弟子檀那等は此の山を本として参るべし。此れ則ち霊山の契りなり。 『波木井殿御書』
仏教では、人は死後に仏様の住む浄土に生まれ変わるという教えがあり、様々な浄土が経典に説かれています。日蓮宗では、仏様の浄土は、私たちの生きているこの世界(娑婆世界)にあると考えます。その名を「霊山浄土」と言います。
これは、インドに実在する霊鷲山という山を浄土に見立てたものです。お釈迦様は、この山をこよなく愛され、この山で多くの説法をされました。日蓮宗で信奉する法華経は、この霊鷲山でお釈迦様が最後に説かれた、まさに遺言の教えなのです。
お経の中でも、お釈迦様は、「我常にここに住して法を説く」「常にここにあって滅せず」、あるいは「常に霊鷲山にあり」などと繰り返し説かれております。お釈迦様は約2500年前にこの世を去られましたが、その魂は、現在も霊鷲山に留まり続けているというのです。つまりそこは、法華経信仰者の安住の地であり、日蓮聖人も当時の信者たちに「この世を去る日が来ましたら、霊山浄土で再会しましょう」と何度も言葉をなげかけておられます。
法華経の信仰に生きる我々は、肉体的な「死」を迎えると、その魂は、この「霊山浄土」に往くのです。そこでは、お釈迦様や日蓮聖人に拝顔し、あるいは法華経の信心に生きた人々やご先祖に再会するよろこびが待っています。
ですから、私たちは、いつこの世の別れが来ても決して後悔することのないように、時々刻々を法華経に生き、日々の生活をお題目信仰に捧げて祈るのです。