ご遠方からの来寺【小さく静かな慈悲】

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副住職の寛道です。私は昔から、誰にでもつい声をかけてしまうところがありまして――
これが、良いようでいて、たまに“いらぬ社交性”になってしまうことがあるんです。

ある日のこと。
スーパーでお惣菜を選んでいたら、隣にいた年配の女性が棚の前でじっと考え込んでいました。
私の中の“社交スイッチ”が入ってしまって、
「これ、美味しいですよ!私、これよく買うんです」と、自然に声をかけてしまったんです。
するとその方は少し驚いた表情をしながら、
「あっ…ありがとうございます」とだけ言って、別のお惣菜を手に取られました。
…あれ?と、その時は何とも思わなかったのですが、あとでふと気づいたんです。
「もしかしたら、あの方は一人でゆっくり選びたかったのかもしれない」
良かれと思ってかけた声が、
かえって気を使わせたり、急がせたりしてしまっていたのかもしれない。
その瞬間、私はこう思いました。
「やさしさって、“自分発信”だけじゃダメなんだな。
相手の気持ちを感じ取る事が、本当の思いやりなんだ」と。

先日、遠く神奈川県の川崎から妙法寺にお越しくださった方がいました。
その方は、以前はお寺へご連絡なしに来られていたのですが、今回は「何日の何時ごろに伺いたい」と、事前にご連絡をくださいました。
お寺としては、そうしていただけるととてもありがたいんです。
「でも、どうして今回はご連絡を?」とお聞きしたところ、こんな風におっしゃいました。

「私なんかの為に泉水さんの大切な命の時間を奪いたくなかった。
会えなくても、お参りだけできればそれで十分なんです。
でも連絡もらった方が助かると聞いたので…」

それはまさに、“思いやり”の心でした。
相手を思うからこそ、踏み込みすぎない。
静かだけれど、深くて温かい心です。
仏教で大切にされる「慈悲」の中でも、
「思いやり」とは、相手をよく見つめ、自分の気持ちを一歩引いて行動する智慧でもあるのだと、改めて気づかされました。
それは、華やかでも劇的でもないけれど、
まるで小さな花が、道端にそっと咲いているような――
そんな静かなあたたかさです。

YouTubeを通して、妙法寺にたくさんの方が来てくださるようになりました。
とてもありがたいことです。心から感謝しています。

ただ、私は僧侶として、急なお葬儀や法務に呼ばれることがあります。
いつでも確実にお迎えできるとは限りません。
けれど、事前にご連絡をいただければ、できるだけお待ちして、お会いして、
日々の感謝と、今この瞬間にしかできない法話やお題目をお届けしたい――そう思っています。

どうか、お互いに思いやりを持ち合いながら、
「会える時間」を大切にしていけたら、これほど嬉しいことはありません。

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