寒さも忘れて日本中が熱くなった平昌での冬季オリンピック。
日本史上最多のメダル数を勝ち取り幕を下ろしました。
今回のオリンピックでは、
日本の若い選手の活躍から目が離せませんでした。
国を代表して大会に出場するということの大変さ、
これには想像も及びません。
競技に出るまで、
ひとりひとりの選手が血のにじむような努力をし、
関係するたくさんの人たちの支援や協力があって、
人々の胸を熱くする選手が生まれるものと思います。
「参加することに意義がある」と言われていたのもずいぶんと昔の話のようで、
開催前から「メダル候補」と期待される選手には、
とてつもないプレッシャーが重くのしかかっていたことでしょう。
競技後の選手のコメントには、
素直な喜びや悔しさに加え、
背負っていたものから解放された安堵感も感じ取れました。
二ヶ月間スケートリンクに上がれないほどの大ケガを乗り越えて、
フィギュア男子66年ぶりとなる二連覇を成し遂げた羽生結弦選手、
氷上に安倍晴明が降臨したかのような美しさと完璧なテクニックを披露し、
見事に金メダルを獲得。
彼は金メダルを胸に下げ
「五輪のためにいろいろなものを捨ててきた。
緊張は毎日していた。
しんどいなぁと思っていた。
でもしんどいからこそ、
最終的に絶対にしあわせが来るんだろうなっていうのを、
ひたすら待っていた。
明けない夜はない!」
とコメント。
23歳の彼の本音の言葉に胸が熱くなりました。
私たちが生きる現代は、
とても便利な暮らしをしています。
しかし、ちょっと事情が変わってくると、
すぐに崩れてしまう要素をたくさん抱えています。
日蓮聖人は「妙一尼御前御消息」というお手紙に
法華経を信ずる人は冬のごとし。
冬は必ず春となる。
いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を。
いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。
経文には
「もし法を聞くことあらん者は、
ひとりとして成仏せずということ無し」
と、とかれて候う。
とお示しです。
現代語に訳しますと
法華経を信じる人は冬の季節にあるようなものである。
どんな冬でも必ず春がおとずれる。
今までに聞いたことがない、
冬から秋に戻ったことなど。
それと同様に、
いまだかつて聞いたことがないのは、
法華経を信じる人が、
凡夫(凡人)のままでいるということである。
そのことを法華経の方便品には
「もし法華経を聞くならば、
一人として成仏しないことはない」
と説かれているのである。
法華経というお経は「希望」を開く教えです。
大難四箇度小難数知れずという苦難の中で、
未来の希望を説き続けられた日蓮聖人。
どんな苦難の中でも決してあきらめない強靭な精神は、
久遠のお釈迦さまが、
私たちが悲嘆にくれている時でも見守っていてくださり、
必ず救いの道を示してくださると確信しておられたからでしょう。
今、悩み、苦しんでいても、
法華経を信じ歩んでいくならば、
必ず明るい光は差してきます。
まずは合掌し、
南無妙法蓮華経とお唱えしましょう。
合掌