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イベント・活動

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信楽会 「第八回 法華経勉強会」(平成25年6月6日)

平成25年6月6日、当山客殿にて、信楽会活動の一つ「第八回 法華経勉強会」を開催しました。

年二回のペースで行っている勉強会ですが、今回やっと法華経二十八品の半分を終え、「従地涌出品 第十五」まで進むことができました。この調子で進むとあと3年くらいで法華経を一通り読むことができそうです。

今回の参加者は11名でしたが、一緒に粘り強く学習していきたいと思います。

以下に今回のレジメを載せてみます。

◇「妙法蓮華経 勧持品第十三」
 勧持品は、仏滅後における法華経の受持と弘通の誓いがテーマとなっている。
 釈尊は「法師品第十」以来、仏滅後の法華経弘通について説いてきたが、殊に「見宝塔品第十一」において「我が滅後において、誰か能く此の経を受持し読誦せん。今、仏前において自ら誓言を説け」と、仏滅後における法華経弘通の人を三度にわたって募られた。この「勧持品」はこの仏の言葉につながるもので、仏弟子たちが自ら持経弘通の誓いの言葉を述べる章である。

 薬王菩薩、大楽説菩薩の二人の大菩薩が,二万人の仲間と共に、仏滅後の悪世において身命を惜しまず、法華経を受持し、読誦し、書写し、人に説くことを誓う。次に五百人の阿羅漢たちが、続いて学・無学の八千人が法華経を説くことを誓う。ただし、これらの人々は、娑婆世界以外の他の国土における弘通を誓う。なぜなら、この娑婆世界には悪多く、人々は心が不実で思い上がり、その心根が曲がっていて、教化するのは困難で手に余るからである。
 次に釈尊の養母である摩訶波闍波提比丘尼と釈尊の妻であった耶輸陀羅比丘尼をはじめとする比丘尼たちが釈尊から未来成仏の予言(受記)を授かり、この上ない喜びを覚えて、他方国土において法華経を弘通することを誓う。
  (養母)摩訶波闍波提比丘尼→一切衆生喜見如来
  (妻) 耶輸陀羅比丘尼    →具足千万光相如来
 釈尊は今一度菩薩たちを見回し、それに対し菩薩は「もし世尊が悪世において法華経を弘通せよと命令なさるなら、私たちは教えの如く弘めましょう」と誓うが、釈尊は何も答えず命令もされない。そこで、菩薩たちは改めて仏滅後の十方国土での法華経弘通を誓う。
 ここで菩薩たちが説いた偈が「二十行の偈」であり、末法に法華経を弘通するものが当然受けるであろう諸難とそれを堪え忍ぶ覚悟を述べたもの。

◎「三類の強敵」
①俗衆増上慢
在家の人々で思い上がっている人々。法華経弘通者に対して、悪口雑言、罵詈讒謗し、杖で打ち、刀を振るう。
②道門増上慢
出家修行者でおごり高ぶっている人々。よこしまな知恵を持ち、心根が曲がっていて、 いまだ悟りを得ていないのにこれを得たと思いこみ、思い上がりの甚だしい者。
③僭聖増上慢
聖者顔をしておごり高ぶっている出家修行者。彼らは人里離れた静かな場所に住み、ぼろをつづった衣を着て、自らは真実の修行をなしていると思い込んで、他人を軽蔑する。これらの人々は、悪心を懐き、心の中では常に世俗のことを思いながら聖者顔し、そのために世の人々からは、生き仏であるかのように敬われている。

 これら「三類の強敵」に対して、「我ら仏を敬信して、忍辱の鎧を着るべし」、「この経を説かんがための故に、この諸々の難事を忍ばん。我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」、「仏の告勅をおもうが故に、皆当にこの事を忍ぶべし」と受け入れて忍んでいく。

※日蓮聖人と「二十行の偈」
 「今日蓮は末法に生て妙法蓮華経の五字を弘てかゝるせめ(責)にあへり。仏滅度後二千二百余年が間、恐は天台智者大師も一切世間多怨難信の経文をば行じ給はず。数数見擯出の明文は但日蓮一人也」        『種種御振舞御書』
※「三類の強敵」と法華経の行者としての自覚
 「当世法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」    『開目抄』

◇「妙法蓮華経 安楽行品第十四」
 「安楽行品」では、「勧持品」での仏滅後における持経弘通の誓いを受けて、後の悪世におけるこの娑婆世界でいかにして法華経を説き弘めるか、弘経の心得(四安楽行)を説き明かす。
 
◎四安楽行(身・口・意・誓願)
①身安楽行
菩薩の行処(行い、振る舞い)と親近処(交わりの範囲)とが説かれる。行処とは、いかなる境遇にも、忍辱の心をもって堪え、いささかも動じないこと。
親近処では、まず近づいてはならない処、敬遠したほうがよい人などを挙げている。例えば、国王・王子・大臣・長官などのように豪勢な人と親しくすると、どうしてもへつらうようになる。相撲などの勝負事に近づくと、いつのまにか心の公平がくずれる。
また、婦人に対しても、みだらな心をもって法を説いてはならぬ。たとえ法のためでも、若い娘や未亡人のところへ、一人で出かけていって親しくなることはいけない。さまざまな細かい用心が説かれるものの、そんな人でも先方から尋ねてくれば、親切に法を説いて正しい信仰に導くように努めたらよい。しかし、相手から何かを得ようなどと、さもしい心を起こしてはいけない。
親近する処とは、静かなところで坐禅をして自分の心を修め、一切は空であるとの立場から、あらゆるものをありのままに観察することである。
②口安楽行
末世における法華経説法者の態度について説いたもの。
他人のことは善いことでも悪いことでも口にしない。経文についても、この経はすぐれているとか、劣っているとか批判しない。どんなときでも慈悲心をもって、人を恨まず、人を嫌わず、柔和な顔で、やさしい言葉で説法する。
もし難しいことを言う人がいても、その場逃れを言わず、大乗の法をもって納得させる。
③意安楽行
説法者の心の持ち方を説いている。
説法者は、嫉妬やへつらい、偽り、驕慢などの心をおこさず、人々に対しては憐れみ・思いやりの心をもち、仏に対しては慈父の想いを、菩薩に対しては偉大な師の想いを懐き、人々には平等に法を説く。
④誓願安楽行
末世の人々の、法華経を知らず、信ぜず、解さない人々を、自らが無上の悟りを完成した暁に、この法華経に導き入れようとする願いを誓願と名付ける。その誓願の原動力となるものは、人々に対して平等に投げかける大慈と大悲とである。

◎髻中明珠(けちゅうみょうじゅ)の喩え
 転輪聖王は、戦いに手柄を立てた家来たちにいろいろな宝を与える。しかし、自分の髻の中の明珠だけは、誰にでも容易に与えない。そのように仏も魔王どもを降した法王として、声聞・縁覚・菩薩たちにそれぞれの法を説き、賞とした。しかし、如来の秘蔵の法華経は、容易に誰にでも与えなかったが、今それを与える時が来た。

◇「妙法蓮華経 従地涌出品第十五」
 「従地涌出品」では、タイトルのとおり、突如として無量千万億の菩薩たちが地中より涌き出るように出現し、娑婆世界における法華経の護持弘通者として登場する。この地涌の菩薩たちをこれまで見たことも聞いたこともない会衆の人々は、当然驚き疑いの念を懐く。これに対し、釈尊はこの菩薩たちは私が昔から教化したものであると明かすが、人々は成道以来四十余年の釈尊にこのような多くの菩薩を教化できるはずがないと疑いを晴らすことができない。そこで人々は釈尊にその疑問を晴らすことを願う。

 他方の国土から来た菩薩たちが、この娑婆世界において、仏滅後、法華経を弘通することを誓う。この勇気ある誓いに対して、釈尊は意外な言葉で答える。「止みね、善男子。汝等がこの経を護持せんことを須いじ。ゆえはいかん、我が娑婆世界におのずから六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一一の菩薩に各々六万恒河沙の眷属あり。この諸人等能く我が滅後において、護持し読誦しひろくこの経を説かん」
 その時、大地が震動して裂け、無量の菩薩たちが涌き出てきた。いわゆる「地涌の菩薩」らの出現である。彼らの身体は金色に輝き、しかも仏と同じ身体的特徴を備えているという非常に立派なものである。彼らを率いる導師(リーダー)が、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩である。
 ところが、弥勒菩薩をはじめとする会座の者たちは誰も、彼らのことは見たことも聞いたこともない。そこで、弥勒菩薩は会座の者たちの疑問を代表して,釈尊に尋ねる。「これらの菩薩たちは、どのような方々なのでしょうか。これほどまでに立派な菩薩たちを、私は未だ見たことも聞いたこともありません。彼らは、いったいどこから、そしてどんな理由でここに集まってきたのでしょうか。一体いつ、どこで、どなたの教化を受けられたのでしょうか。どうぞその因縁を説いて、私どもの疑いを除いてください」
 釈尊は、「この者たちは、私が娑婆世界で成仏して以来、教化してきた者たちである。彼らは娑婆世界の下の虚空において、無限の時間、修行し続け、常に静かなところを好んで、勤行精進して、休息したことのない我が弟子である」と答える。
 しかし、釈尊のこの答えは、弥勒菩薩たちの疑問をかえってふくらませてしまう。そこで、弥勒菩薩は再び釈尊に尋ねる。「世尊よ。あなたが成仏されて以来、時間的には40余年を経たに過ぎません。そのわずか40余年の間に、数えることもできないほどの無量の菩薩たちを教化し、ここまで育て上げたとおっしゃるのですか。しかも、彼らは無限の過去以来、修行してきたのだとおっしゃる。これではまるで、25歳の黒髪の若者が、100歳の白髪の老人を『我が子である』と言い、100歳の老人が、25歳の若者のことを『私の父で、私を養ってくれた』と言っているようなものです。(父少子老の喩え)
仏の言葉に決して嘘がないことを、私たちは十分に承知しております。しかし、このままでは、疑いを捨てきれない者も出てまいりましょう。どうか、この疑いを解決してください」。

 この願いに応えるべく説き始められるのが、「如来寿量品第十六」である。
  

以上。

                                                                                                                

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