七月 なまぐさ説法

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立正安国論(国宝・市川市文化財)1                              令和元年7月

今月から立正安国論を読んでいきます。 『開目抄』『観心本尊抄』とともに、日蓮の代表的著作。10 段からなり、旅人と立ち寄った家の主人の問答という形で始まって行きます。原文は漢文体。
日蓮聖人が本書を記した背景には、正嘉元(1257)年から正応6(1293)年にかけて地震・飢饉・疫病かが続出 して、死者・病人が続出したという事実があります。当時鎌倉にいてこの惨状を目撃した日蓮聖人は、災害続出 の原因と対策を宗教者の立場から考えて本書を記し、対策の実施を幕府に求めました。
日蓮聖人の主張の中心にありますのは、「正しい仏法を立てて国を安んずる」という所にあります。日蓮は「正法が樹立されれば(立正)、 国土は安穏、人々は安泰に暮らすことかができる(安国)であろう」と考えました。 汝、早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよは、第9段、結論部分の言葉であり、この言葉を含む 64 字(漢文)の文には、日蓮宗の宗教の基本的理念が示されています。
立正安国論
訪ねて来た旅人が嘆(なげ)いて言いました。「近年、地震・台風・疫病(えきびょう)・飢饉(ききん)と天候不良のため不衛生になり作物も途絶えて、大半の者は亡くなってしまいました。牛馬は路上に倒れ、人々の亡骸(なきがら)も橋のように横たわっています。そこで人々はこの事を案じて「南無阿弥陀仏」と唱えたり、薬師如来(やくしにょらい)を信仰したり、般若経(はんにゃきょう)を読んだり、病即消滅・不老不死の法華の文だけを崇める者、七難即滅・七福即生の句を信じ講座を聴く者、真言密教の教えによって五瓶(べい)の水をそそぐ者、座禅に入る者や、幕府は万民・百姓を哀れんで色々な徳政(とくせい)を行なっています。しかし何も効き目があるように思えません。それは何故なのでしょうか。どういう禍(わざわい)なのでしょうか?何が誤っているのでしょうか?」
 家の主人が答えます。「私もあなたと同じ様にこの状況を深く思い悩んでいましたので、色々な経文(きょうもん)を開いて研究してみますと、災難の原因は世の中の人々が正しい教えに背(そむ)いて邪法(じゃほう)に帰依(きえ)したために起こったものであると経文にありました。この世を護(まも)るはずの善神(ぜんじん)が国を捨てて天に去ってしまい、その隙(すき)に悪鬼(あっき)が押し寄せて来て災難を次々と起こしてしまうのです。この事は恐れなければならないことです。」 *(正嘉元年-1257-8月23日 大地震・津波により多数の死者 正嘉2年8月1日 大型台風 正嘉3年 大飢饉 正元元年-1259-全国に疫病蔓延 何年にもわたる。正応6年-1293-4月13日 大地震・津波 死者 病人の打ち殺し等 関東で4034人の死者)  
*吾妻鏡参照
                                        法華寺霊神祭引用

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