三月 なまぐさ説法

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母の子への思い                                                                      平成30年3月

   梅の花香る季節になってきましたね。今月はお彼岸の月です。春はもうそこまでやって来ています。
 冬季オリンピックも日本はメダルラッシュで大変盛り上がりました。中でも羽生結弦選手の演技は圧巻でした。 
 彼は演技の前に必ず十字を切り合掌します。瞑想して演技に集中するためだそうです。キリスト教とか仏教とか、宗教とはあまり関係無いようです。でも、合掌は心を落ち着かせるのでしょう。羽生結弦選手の母親というと、マスコミの取材に対して「体に触れないで!」と一喝された事は有名です。デリケートな選手の身を案じたからでしょう。なんと付きっ切りで結弦選手の面倒をみられているらしいのです。親であれば当たり前なのでしょうが、色々大変でしょう。
 日蓮聖人の時代にも母親として、子供ために、信仰のために命をかけられた1人の女性がおられます。ご主人が亡くなられた後には剃髪(ていはつ)して尼(あま)となられました。
妙一尼(みょういちあま)という方です。妙一尼の夫は日蓮聖人・法華経の熱心な信奉者でした。夫は常々「御仏(みほとけ)の言葉が正しければ、法華経は必ず広まるであろう。法華経が広まれば師の御房(ごぼう)もどんなにか いみじき(立派な)方になられるであろう。」と語っていました。また日蓮聖人が佐渡へ流罪された時には「一体、どうして法華経を守護すると誓った十羅刹女(じゅうらせつにょ)は護ってくれないのか。」と嘆き、師の身を我が事の様に案じたそうです。
その夫が死去したのは、日蓮聖人が佐渡に謫居(たっきょ)している時でした。あとには老齢の妙一尼が取り残されました。日蓮聖人の表現によれば「かれたる 朽(く)ち木のやうなる としより尼」の身で夫に先立たれたと語られています。
彼女には娘がおり、病気の子が居ました。子供の養育や世話を痩せた肩に背負いながら、夫の菩提(ぼだい)を弔(とむら)い、夫の意思を受け継いで生きようとされました。剃髪(ていはつ)して尼になったのもそういう思いがあったのでしょう。
彼女は子育てに身も心も費やしました。彼女には実家から送られた女子分の貯(たくわえ)が幾分残っていました。召使(めしつか)う滝王丸(たきおうまる)もかいがいしく支えてくれました。しかし夫を失った寂しさを癒(いや)す事は出来ませんでした。
丈夫でない年老いた自分に子育てがやり通せるかと夫は案じていたでしょう。子供の行く末も案じていたでしょう。これから先のことを誰に頼んで冥土(めいど)に行けば良いのかと夫はおぼつかなく思いながらこの世を去っていったに相異ありません。あれこれ彼女は思いわずらい、やはり夫の志(こころざし)を自分が引き受けようと心に刻みつけたのでしょう。彼女にとって夫は夫であると供に同心の友でありました。
文永八年、この折日蓮聖人は龍ノ口での処刑を免れましたが佐渡流罪、弟子は入牢、追放。信徒もまた所領没収、追放。科料(罰金)の処分を受けました。幕府・他宗よりの弾圧の嵐の中で、夫妻もまた所領没収の憂き目に遭いました。
日蓮聖人は「わずかの身命を支えしところを、法華経のゆえに召されし命をすつるにあらずや。」と励まされました。
わずかの身命を支えしところとは所領を表わしています。あの時に所領・財産を召し上げられたのは法華経を信じ日蓮一門として生き、命を法華経に捧げている証しだと仰せられていると夫妻は語り合いました。多くの門弟が、迫害に負けて心を翻(ひるがえ)している中で、夫と彼女がなんの動揺(同様)もなく、苦難を乗り越えて信じる道を一途に歩み通せたのも師の導きがあったればこそ。そして「そなたと一緒だから」と言った夫の言葉に支えられてきたからでした。しかしその夫はもう居ません。今度は夫の身代わりに私が子育てと信心に尽くす番であると、悲しみと生活の困難さにぶつかりながらも彼女は心を新たにしました。そしてこの思いが夫と一緒にいる事なのだと自分に言い聞かせながら。
師である日蓮聖人に寂しい心をぶつけ、より強い支えを望みました。彼女は滝王丸を日蓮聖人のおられる佐渡へ、師のお世話をさせるために遣わせました。自分のいま出来る精一杯の力で子育てと信心に努めることが法華経に命を捧げた夫の遺志を実現する道だと考えたからです。この思いは次第に強くなっていきました。
日蓮聖人が身延(みのぶ)の山中に入られると、彼女は聖人の身を案じて衣一領(ころもいちりょう)を供養されます。また、滝王丸を再びさしつかわせて聖人の身の回りのお世話をさせます。建治二年には妙一尼直々(じきじき)に身延へ参詣して聖人と言葉を交わし巻物一巻を進呈されました。彼女は亡夫と一緒に身延へ行き、日蓮聖人に出会えたと信じ喜びを胸に抱きしめました。
日蓮聖人は妙一尼に向かってこう言われました。
「日月がなければ草木も成長できないように、父母のいずれかが欠ければ子供は育ち難いもの。それなのに、あなたは夫を亡くし、病気の子や女の子を抱えて1人残された。亡き夫も病気の子や年老いたあなたのことをさぞ心配していたであろう。また、日蓮の身も案じてくれた。あなたの夫は法華経に命を捨てられた。たとえ今生の命は尽き果てようとも、法華経に命を捨てた功徳は決して失われることはない。しかも法華経にはこの経を聞くものは1人として成仏しないものはないと説かれている。冬は必ず春となる。未だ聞いたことは無い、冬が秋に変わることを。未だ聞いたことは無い、法華経を信ずる人が凡夫(ぼんぶ)になる事を。亡夫は日月の中より妻子の姿を鏡に浮かべて見守り、いつもあなた方妻子のもとを訪れています。法華経の尊い功徳により、あなたも生きながられ子育ても出来るであろう。もしあなたが亡くなったら、幼い子供たちはこの日蓮が必ず守ってゆくのを草葉の陰からご覧になるがいい。佐渡でも、身延でもお世話になった事をどうして忘れられよう。この恩をまた生まれかえった時でもお返ししたいと思っていますよ。」と。
そして日蓮聖人のお言葉に支えられ、妙一尼は子育てと信心に全うされたのです。

                                       法華寺霊神祭引用
 

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