先日の4月12日、比叡山横川(よかわ)にあります定光院(じょうこういん)で、部経会が開かれました。
比叡山の横川は、日蓮聖人が御年20歳から32歳までの12年間、この地を住坊とされ諸宗遊学の拠点にされた地です。晩年の身延での生活が9ヵ年ですから、生涯で最も長く留まられた場所でもあります。
当時の比叡山は、仏教の総合大学のような位置付けでしたので、全国各地から数多くの僧侶達が志を持って集まっていました。坊舎の一つであった定光院は、横川地区の北端の「華芳谷」(かほうだに)という場所に位置しており、華芳谷横川定光院と呼ばれていました。
この定光院は、天台宗の管轄地にありながら、現在は日蓮宗が管理しており、本宗の宗門史跡になっています。また、「法華発祥の霊蹟」として、宗門の法要や団参で多くの檀信徒がお参りに見えています。
比叡山の中でも三魔所と言われるほど過酷な環境の中、先師が代々護持丹誠を尽くしてこられた定光院。現在、京都1部管区の御上人方を主体として、春季法要・秋季法要や4月28日の立教開宗会が執り行われていますが、今日に至るまでには大変なご苦労があったようです。
部経後の後席では、青年会OBの御上人から、立教開宗750年慶讃事業の頃のお話であったかと思いますが、その際のエピソードを伺いました。彼の地を清浄にするため、真っ暗闇の叡山の山中で灯明の明かりだけを頼りに、何日もかけて法華経読誦されたことなど、その場に居合わせた御上人方から伺わなければ全く知り得なかった涙ぐましいまでのお話でした。
私にとっては大変に意味深い青年会部経会の最後の会所として、そのような地で沙門同輩と共に一心に読誦し、3年半にわたる長き記念事業を円成出来ましたことは法悦の極みです。新旧の会長が感慨深げに仰っていた通り、私も歴代の青年会会長や部経会の新会長の御歴々と共に異口同音にお唱えしながら、何とも言えぬ気持に浸りました。
私が参加させていただいた2年間でお会いした各御寺院の御祖師様。貫首猊下や御住職、お檀家様方。美しいお庭や瓦屋根、青かった空、滴る汗…
今となっては全てが懐かしく、色褪せることのない宝物です。
感謝、感謝でございます゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
大津市 日蓮宗本要寺 ~FREE TIBET~