3月10日、山元町の仮設住宅でのイベントの前に、被災した地区を回ってきました。ここは、亘理町の海岸線に近い場所です。
この辺りでは、瓦礫の山はさほど見当たりませんが、見渡す限り土ばかりの地面です。かつてここが、亘理が誇る田園地帯であったなんて、今では想像もつきません。折からの暴風で、一帯には砂塵が舞い上がり、視界も悪く、不毛の地と化した平野は、どこまでも砂煙に霞んでいました。
前日まで滞在していた南三陸では、篩(ふるい)にかけられ瓦礫と分離された土が、円錐状に数多く並べられていました。その土はすぐに再利用出来る訳ではなく、そこに浸み込んだ塩分が取り除かれない限り、ちゃんと稲は育たない。田畑の再生には、まだまだ気が遠くなるほどの段階を経なければならないのです。
「おらが町」の再建を信じて待つ根気と、長引く避難生活で疲弊する心。その狭間の中で生きておられる皆さんは、ぽっと現れる私達のような者でも、温かく迎えてくださいます。感謝ともてなしの心で私どもを受け入れ、笑顔で、涙で、お話をしてくださいます。
この日本の何処にあっても、私たちの心は寄り添うていたいと思います。