先日、日本山妙法寺の平和行進に参加しました。
7月14日は豊中市~池田市~川西市~宝塚市、17日は尼崎市~西宮市を、「九条の会」の方や、有志の皆さんと共に歩きました。
日本山妙法寺山主である藤井日達師が亡くなって、今年で29回忌を迎えます。2011年1月9日には、千葉鴨川市の清澄道場にて27回忌法要が営まれ、約400人が参列した集まりは、世界中で平和を脅かす動きや、核拡散の危機が高まっている情勢に対し、非核平和への働き掛けを一層強め、精進する誓いの場となっていました。
そしてその僅か2ヶ月後には、我が国は未曾有の自然災害と、核の脅威に直面することになります。
誓願を立てられて1950年代から始まったこの行進が、目まぐるしく変化する社会情勢の中で様々な困難を経て、今日まで歩き続けられたことには大変大きな意義があると思います。既存宗教の体制に縛られない徹底した“実践”に、私は共感するのです。
行進の途中、「原発が無くなれば、平和なのか?!」と、通行人がスタッフの一人に詰め寄る一幕がありました。
もちろん原発が無くなったからと言って、平和が転がり込む訳ではありません。
でも、原子力への盲信から、覚醒するチャンスを得られるかもしれません。
化石燃料の代わりに、同じ枯渇資源である危険なウランを燃やして、セシウムやストロンチウム、プルトニウムなどを含む、処理し切れないほどの膨大な使用済み核燃料を、これ以上次世代に残すことを食い止められるでしょう。
絵に描いた餅(高速増殖炉)の呪縛からも、解き放たれるのではないですか。
もしかしたら、間もなく訪れるちょっとした不便さが、日本人が忘れかけていたものを思い出させてくれるかもしれません。
物質的な文明が本当の豊かさだと信じて、人類の優れた知性を注ぎ込めば、これから先も様々な不足を満たすことが出来るでしょう。でも、それじゃきりがない。
文明とは、一体何であるのか。その見識が顕かなれば、文明は末代幼稚の命をも輝かせ、不明なれば、文明は悉く人々を麻酔の眠りに陥れる。
少なくとも、戦争のための技術から生み出された原発やGMO(遺伝子組み換え作物)は、自然を支配しようとする傲慢なテクノロジーであり、人間が立ち入ってはならない領域であると、私は確信しています。文明と呼べるシロモノではない!と。
今月に入り、茨城県北部の日立市沖で採取されたスズキから、1キログラム当たり1,000ベクレルを超える放射性セシウムが検出されました。2011年4月に北茨城市のコウナゴから、1,000ベクレル以上が検出されて以来、3番目に高い数値でした。また、放射性セシウム、及びストロンチウムやトリチウムが地下水から検出されており、未だ原因は分かっていません。これらの事実に対し東京電力は、汚染水の海洋流出の証拠は無いと表明しました。そして政府は今もなお、休止中の原発再稼働を後押しし続けています。
日本が島国でなく、隣接する国々があったとしたらどうでしょう。果たして、「トモダチ」でいてくれるでしょうか。国家諸共、政治的石棺にされてしまうのでは?!
現代の世界情勢において国際競争力の低下は、国内外で様々なリスクを伴うことになるでしょう。敗戦国であり小さな島国日本が、並み居る列強国と比肩し、戦後の表舞台に立ち続けていられたのは、突出した経済力によるものに他なりません。私たち世代も、その多くの恩恵に浴しました。しかし、世界唯一の被爆国であり、史上稀に見る大災害に直面した国だからこそ、成熟し切った経済に更なる上積みを求めるより、次世代にとって何が本当に必要で何が一番幸せなのか、そして原発が廃止されることにより被る被害を最小限に止められるよう、日本の政治家の皆さんの英知を結集して欲しい。その困難を克服してこそ、日本は再び多くの国から称賛されるのではないか…
今この瞬間にも、被曝の恐怖と対峙している福一作業員の塗炭の苦しみを、体裁だけの言葉で覆い隠してしまうようなそんな政治を私は望んでいません。
京都大学原子炉実験所助教の小出裕彰(こいで ひろあき)さんの講演を、ネット配信でお聴きする機会がありました。原子力産業について、大変に分かり易く解説されていますので、ここに紹介させていただきます。
日本が原子力に向かう主な理由として、小出氏は次の4つの理由を挙げられました。
1つ目は、一般企業なら利潤を生みだすには企業努力が必要だが、独占企業である電力会社の場合、会社が持っている資産の何パーセントを儲けに出来ることが法律で定められており、即ち資産を大きくすればするほど電力会社の利潤となる。例えば、原発一基建ててさえしまえば、それが動こうが動かまいが5~6千億円の資産になるから、原子力開発は電力会社が儲かる仕組みになっていること。
2つ目は、日本産業の屋台骨を背負う「三菱」「日立」「東芝」の巨大企業が、原子力事業に参入し、生産ラインを構築していった。1970年代から20年間に約40基という原発バブルが続いたが、90年代に入ると電気料金が高騰。電力会社から電気を買っていた国内の企業が、次々に倒産したため、国内では今までのようには原発を建てることが出来ないと認識した3社は、中国・インド・東南アジアなどに原発を輸出して、生き延びる策に方針を変えた。生産ラインを持つ巨大産業が、立ち止まれなくなってしまったこと。
3つ目は、日本政府やマスコミは、「核」開発を「原子力」開発と称し、日本の原子力産業を支えて来た。「核兵器を作る能力を持っておきたい」という政治的動機が根底にあり、それが原子力推進の最も大きな根本的理由。
また、これは私のHPでも過去に述べましたが、4つ目の悲しむべき理由として、日本の政治の貧困ために、崩壊させられた地方の貧しい自治体が、原子力に金を求めてすがりつくという構図。一度原子力を受け入れてしまった自治体は、交付金や補助金などの高額な金を受け取ってしまったが故に、もうその仕組みから逃れられなくなってしまっていること。
講演の最後に、氏が述べられた言葉を紹介します。
“この事故を防げなかった日本人の、大人としての責任の取り方というものがあって然るべきだ。
現状が続けば、福島の一次産業は間違いなく崩壊します。
放射線に対する感受性がどんどん減っていく我々年寄は、福島の農作物や海産物を積極的に摂取し、福島の農業・漁業を支えなければならない。
皆さんは笑われるかもしれないが、私は本気でそう思っているのです。”