善知識 人生の贈り物

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人生の贈り物 〜他に望むものはない〜
詞:楊姫銀(양희은) ・さだまさし(Masashi Sada)

ある檀徒様の満中陰法要を勤めました。
 
以前このHP『善知識』で紹介し、多くの方に関心を持って頂いた方です。平成4年5月に法華三部経1日1巻読誦を発願して以来、入院加療中も含め、法華経およそ800部を読誦され、長年積まれて来られた行学の集大成として『法華経の話』を著されました。
昨年の5月19日、当山に初めてお見えになり、その頃には既に体調の異変に気付かれていたようでしたが、それから僅か1年余りのお付き合いでした。今年7月にはご危篤との一報を受け、病院へ枕経に伺いました。
 
刹那の接点に、私たちの心の襞に深く刻まれた、声、笑顔、手振り身振り、謙虚さ、願い、信仰…そして今に思えば、今年4月の2度目のご来寺の際、穏やかな表情の中にも、張り詰めた覚悟のようなものがお話の端々に窺えたように思えます。私も医療機関に長くいましたので、初期診断の結果が決して楽観的でないことは重々承知しておりました。
それでも、「一緒に行く!」と言って聞かない子供たちと、狭い軽自動車でお送りした駅までの道程は、どこまでもどこまでも続くように思えたのです。
 
「今夜は家内がいないので、あの店で買い物して帰るんですよ。(笑)」
「えー!ご自分で料理なさるんですか?!」
「いやいや、料理ってほどのモノでも…(汗)」
………………
……………
…………
 
平成26年4月26日
御前様 本日は貴山に登拝させて頂き、真に有難う御座いました。また、帰路は○○まで送って頂き恐縮致しております。御院首様も始め、寺族御一同様に御目文字頂き大変嬉しく存じました。また、ご丁重な報恩謝徳の法要に併せて、亡き父母の回向まで賜り感激の極みでした。若上人が落ち着いて唱えられる声明や、力強い太鼓の響きにも感服致しました。将来は立派なお上人になられる事と今から期待しております。不思議なご縁で貴山の檀徒にならせて頂きました事、心から喜んでおります………
 
「もう○○さんには会えないけど、たぶん一生忘れないよね。」
法事にご一緒させていただいた長男は、京都本山での僧風林から戻ったその日に訃報を知り、ポツリとそう言いました。
 
満中陰法要には、御親族の他に、定年後17年にわたりお勤めされた会社の社長ご夫妻が臨席されました。御位牌開眼、満中陰法要、御納骨を終え、その後席では、故人様の意外な一面を知ることが出来ました。
お酒をこよなく愛し、仕事に対しては大変厳しく、手緩い時には烈火の如く怒ることも。昼休みには、パソコンでHokke.TVを視聴されていたこと。当寺とのご縁を、殊の外喜んで下さっていたこと。足が不自由になっても、引き摺りながら通勤されていたこと…
社長さんは私と同世代ですが、会社再建のためのお二人のご苦労を伺っていると、魂のぶつかり合いのような激しさと、そして確乎たる信頼で繋がっていることがよく分かりました。病状が進行して、周囲にも明らかに不調が見て取れる状態になった時、心配して声を掛けた社長さんに、今まで見たこともないようなおどけた笑顔で、「大丈夫だよ~♪」と返したその表情が、今でも忘れられないと仰います。
お二人にとっては、お互いが、かけがえのない「人生の贈り物」だったのでしょう。
 
“人生は、必ず途中で終わる”という言葉がありますが、たとえその言葉に感銘を受け、心に留め置いたとしても、日々の慌ただしい営みの中では、そんな教えも霞んでしまいがちです。そして、死は決して綺麗事では済まされず、激しい苦痛と心身の疲弊、衰弱を招くことが圧倒的に多い。だからこそ、「死に方」よりも、死を迎えるまでの「生き方」が大切になって来るのでしょう。その延長線上で、改めて「臨終のこと」が語れるのです。
貴方のご著書には、貴方が「かくのごとく生きた」という証のようなものが散りばめられていました。貴方は、「どのようにして生きるか」に迷うより、「何のために生きるか」ということを、如法に実践された方でした。
 
合掌

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