伊豆法難会と繰り弁

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本日5月12日は、日蓮宗の聖日である『伊豆法難会』です。
 
日蓮聖人の御生涯は、「大難四ケ度、小難数知れず。」と御自らが書き記された通り、まさに忍難慈勝の御生涯でした。
その四大法難の1つに数えられるのが、日蓮聖人が弘長元年(1261年)5月12日幕府によって捕らえられ、静岡県の伊豆に配流された伊豆法難です。
日蓮聖人は死罪に等しい迫害を受けましたが、ここ伊豆伊東の地で運命的な出会いがありました。伝説によれば日蓮聖人は、配流先の伊東篠海浦の俎岩(まないたいわ)の上に置きざりにされますが、それを偶然に発見した川奈に住む漁夫弥三郎夫妻の庇護を受けかくまわれたといわれています。
これが、弥三郎と日蓮聖人との最初の出会いです。当時、地頭伊東八郎左衛門は罪人である日蓮聖人への一切の関与を禁じると厳しく布告していましたが、弥三郎は厳罰を承知で日蓮聖人を巌窟に庇護し、30余日にわたり夫妻で供養を捧げたのです。その後、弥三郎は聖人から与えられた船守姓を喜んで受け、以後船守弥三郎と呼ぶようになりました。
 
これらの様子は、日蓮宗の伝統的な説教である高座説教の後半に語られる、『繰り弁』(日蓮聖人と先師の伝記を、特徴的な話法で紹介するもの。)でも情景豊かに説かれています。
 
由比浜の弁
弘長元年(1261)5月12日、日蓮聖人は理不尽にも逮捕され、問注所の吟味もなく、由比ケ浜から舟に乗せられ相模湾を横断し伊豆の伊東へ流罪にされる情景を語った段。
俎岩の弁
弘長元年(1261)5月12日、日蓮聖人が伊豆伊東の俎岩の上に流されんとする情景を語った段。
船守弥三郎夫妻入信の弁
川奈の漁師船守弥三郎夫婦が、日蓮聖人の教化に浴する情景を語った段。
 
日蓮宗の繰り弁は、言説布教の修練場である布教院開設中、毎朝の晨朝説教(しんちょうせっきょう)で聴聞出来ます。早朝の張りつめた空気の中、高座を仕切る若いお上人方の真剣勝負が大本堂で繰り広げられます。
何方でもご覧になれますので、是非一度足を運んでみては如何でしょうか。
 
【参考資料】日蓮宗事典 日蓮宗新聞 
布教院・晨朝説教はじまる!~青年僧侶のシャカリキ奮闘記~
http://ameblo.jp/gokokuji5594/entry-11605021640.html
 

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