急速に暖かくなり、「ああーもう桜が咲いちゃった!」と思ったら、ここ数日は各地で大荒れのお天気。
身包みを剥がされるように花は吹き飛ばされ、冷たい雨が続きました(-。-;)アララ..
容赦ない風雨に晒されて、必死にしがみついていた境内の桜も散り始め、参詣者用駐車場は花びらの絨毯。お次は、桃の木が蕾を膨らませています♪
本日は、お釈迦様の誕生日です。一般的には『花まつり』といわれていますね。また、『釈尊降誕会』(しゃくそんごうたんえ)ともいいます。
お釈迦様は、摩耶(まや)夫人の右腋からお生まれになった直後に、7歩歩いて右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と説かれたと伝えられています。これは自分という存在も含め、天の上にも下にも全てのものが、仏の命を持っており尊い存在であるということです。
FB(フェイスブック)というコミュニティ型のWebサイトがあるのですが、そこで交流させていただいている金嶽浩子様の投稿を紹介します。
臨済宗の故・松原泰道師の名法話の中から、素晴らしいお話をご紹介します。臨済宗の故・大應国師のところへ、一人の修行僧が参りまして、「天上天下唯我独尊は、どういうことでありますか?」と聞きました。
(中略)
大應国師は「衆のために尽くせ」と、次元の高い答えを返しました。皆のために、よくしてあげなさい、、、、さてこれは、どういうことでしょうか?
松原師はここで、 雪の研究で有名な、中谷宇吉郎先生のご遺言を紹介します。中谷先生はお亡くなりになる時に、奥様に「どうも長い間、僕に尽くしてくれてありがとう。僕が死んでもね、誰かによくして上げてくれたまえ。」と言われて、息を引き取ったそうです。松原師は、中谷先生はその後に、こう続けたかったのではないか、と推測されています。
「その時初めて、僕は君と“声なき対話”ができるんだよ」と。
この言葉の意味するところは、、、
(中略)
亡くなっている人とも 心が通じ合う、、、本当の対話ができる。
「花びらが散っても 花は散らない」 金子大栄
また、京都護国寺様の副住職であり、宗門の第一線でも活躍されている上田尚史師のブログでは、流通ジャーナリストとして有名な故金子哲雄氏の著書について、次のような感想を綴られています。
最後に、金子哲雄さんの奥様が「あとがき」を書かれているのですが、涙なくしては読めませんでした。
そして・・・「死」は、決してゴールではないと悟られ、今、この瞬間も前に進むことで、金子さんを感じ、共に生きることができる。
青年僧侶のシャカリキ奮闘記
この二つのお話には、大きな共通点を感じます。
キリスト教の結婚式での宣誓で、聖職者が新郎新婦に「死がふたりを分かつまで…」と問い掛ける場面がありますが、「死を受け入れ、共に生きる」といった、正に仏教的な概念を感じ取ることが出来ますね。
最後に日蓮宗が配信している『花まつりムービー』をご紹介します。