能勢氏家紋『切り竹矢筈十字』
昨日は正行山清普寺様で豊能管区北部寺院出仕の下、声明講(しょうみょうこう)が奉行されました。
清普寺様の声明講は、関ヶ原の戦いで戦功を立てて旧領を回復し、能勢の地に旗本として基礎を築いた能勢頼次公の御正当の忌日に行われる追善法要です。
頼次公は父の菩提を弔うために、1601年に清普寺を開創(開山は玉持院日然上人)し、以降は能勢氏の菩提寺となっています。能勢妙見山を信奉していた頼次公は、能勢一帯の神社仏閣を日蓮宗に改宗させました。
菩提寺とは?以下、「山科檀林・護国寺 ~青年僧侶のシャカリキ奮闘記~」を参照して下さい。
本堂は、日蓮宗方丈型の本堂としては府内最古。庫裏、表門、鐘楼は十八世紀後半までに順次建立され、その伽藍をはじめとして、能勢家の墓所に勇壮に並ぶ墓石群(五輪塔十三基、宝塔四基、笠塔婆二十五基、板碑二十七基)が府の文化財に指定されています。
<参考資料>
日蓮宗豊能寺院名鑑
能勢町の石像美術
『お寺の風景と陶芸』
OSAKA-INFO
「山科檀林・護国寺 ~青年僧侶のシャカリキ奮闘記~」