京都上京区にある日蓮宗大本山妙顯寺。教区の教師からは、威容を誇る勅願寺の大伽藍に敬意を表しつつも、親しみを込めて顯山(けんざん)と呼ばれる。
平成30年10月28日、その顯山にて管野日彰管長猊下御親修「宗祖降誕800年近畿教区記念大会~小沙弥音楽大法要~」が開催された。妙顯寺を主会場とし、本法寺及び妙覺寺の全面的な協力を得て、参加者が僧俗合わせて1,000名を超える一大イベントとなった。
以下、時系列で当日の画像を紹介するが、私は大会の実行委員であったため本番中は身動きが取れず、リハーサル画像がほとんどである?
先ず、午前11時に6講総勢120名近い万灯行列が先陣を切り、纒を競うように顯山周辺約2kmを練り歩いた。万灯出発から間もなくして、教区の青年会30名による勇壮な唱題行脚が始動。団扇太鼓を撃鼓唱題して、妙覺寺から本法寺、妙顯寺へと進んだ。
顯山本堂前での万灯奉納と入れ替わりで、雅な楽の音を奏でながら、伶倫が31名の稚児を引き連れて境内を練行列。既に800名近い参詣者を飲み込んだ堂内は、歓声と無数のシャッター音が鳴り止まなかった。
余韻も冷めやらぬままプログラムは堂内へと移り、昇堂した稚児が献花した後、12名の檀信徒協議会々長が献灯、続いて豊能和讃会20名による歌題目奉唱、そして法要に先駆けて33名の修法師が立正安国と道場の清浄、参詣者の息災を祈念し木剣を振った。
法要は上田尚教日蓮宗聲明導師ご指導の下、12名の聲明師に18名の小沙弥(僧風林昨年度と今年度の卒林者)が加わり、「誕生会伽陀」「十方禮佛」「高祖讃」「回向伽陀」など多彩な聲明を取り入れた近畿教区ならではの式構成となった。
教区とはいえ、習礼や打合せの度に兵庫県北部や和歌山などの遠方から京都まで通うのは大変なご苦労である。そのような労力を厭わず、ご自坊の法務を調整しながら稽古を重ね、立派な法要を作り上げて下さった上田先生をはじめ聲明師の皆様には、実行委員として感謝の念に堪えない。
法要の最後には管野日彰管長猊下より御親教を賜り、参詣者感激の中、15時前に法要は無事終了した。
そして、プログラムは嵐圭史さんの口演と唱題行を残すのみとなった。口演では、御遺文に基づきながら、まるで舞台でも観ているような臨場感たっぷりに宗祖や縁の人々を熱演。参加者もその巧みな話術に吸い込まれ、最後まで熱心に聴き入っていた。
大会プログラムの締めくくりは、1,000人の唱題行。お題目の大音聲が堂内に響き渡った。陽の傾きとともに堂内に長く射し込む光が、あたかも「降臨」をイメージさせる幻想的な空間を作り上げる。
顯山は日蓮聖人のご遺命を受けた日像菩薩により建立され、後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜って以来、門下屈指の勅願寺として栄え「四海唱導」とも称された。四海唱導とは、世の中の人々を教え導くことである。
大阪北部地震に始まり、今年は各地で激甚災害が多発し、祈らずにはいられないような悲惨なシチュエーションに数多く直面した年でもあった。6月には教区教研会議で、多発する災害について多くを学んだ。
度重なる法難に遭うも帝都弘通を果たされた日像菩薩の御宝前において、「立正安国」「一天四海皆帰妙法」という祖願達成のため、我々がなすべきこと、進むべき道を、今一度改めて考えさせられる機会でもあった。
当大会にご参詣下さいました檀信徒の皆様、ご尽力いただきました関係各位の皆様に対して、心より御礼申し上げます。本当に有り難うございました。
併せて、片頭痛と闘いながら重責を全うされました、同級生の教区事務長様には、願わくはゆっくりと休んでいただきたく存じます。