先の10月27日、私の実母桑木朋子が永眠いたしました。世寿95の生涯でした。
母は、令和3年に遷化しました前住職(蓮華寺第29世修善院日正上人)の50年に及ぶ法灯を陰日向となり支えました。
結婚前は大阪市内に居りましたので、昭和30年代の当地、それもお寺に嫁ぐことは大変な決意であり、葛藤もあったかと思いますが、管内のお上人方、寺庭婦人の皆様、檀信徒の皆様、そして近隣の方々に支えられ、私の家内にバトンタッチするまで、坊守としての責務を果たすことができたと思います。
母は今から9年前、気管支からの大量出血により6時間以上に及ぶ大手術と突然の停電を乗り越え、奇跡的に生還しました。当時、齢85でありましたが、よくぞ大手術に耐えうる体力と生命力が残っていたものだと感心いたしました。
それからは、本人も私たちも、これから先の人生は更に賜った寿命と心に刻み、日々を過して参りました。
この3年ほどの間に両親を失いました。
コロナ禍が無ければ、もう少し元気な時に孫と一緒に好きなところへ連れて行ってあげたかったのですが、それも叶わず空白の時は無情に移ろいました。
私ども夫婦と3人の孫とで暮らすようになってから、子ども達は様々なことを教えられ、晩年には「分け隔てなく人は衰え、或いは変貌し、或いは壊れていくように見えて、やがて死にゆく」ことを学びました。
長女は、数年前に亡くなった近所の酒屋のお婆ちゃんが、葬儀前日の本堂に安置されていた棺の横で、太鼓を叩きながら一生懸命にお題目を唱えていました。
通夜の日は、一人でお祖母ちゃんの枕辺に座り、お経を唱えながら目ヤニを取ってあげていました。
家族として、本当にかけがえのないものをいただいたと思います。
師父の遷化には春の桜が咲き誇り、今、母の旅立ちは秋の桜がひっそりと花を付けました。
桜散り、梅はこぼれる、菊は舞う、椿は落ちて、牡丹崩れる、と、花の終わり一つを取りましても様々な美しい表現があります。
一方で、人の終わりは、苦しみに満ちた終焉が多く、母の最後もそうでした。
それでも、為すべきを為し、尽くすべくを尽くして、往いた母の人生は美しく、共に過ごせた時間に感謝したいと思います。
有り難う、お祖母ちゃん、お義母さん、お母さん・・
世に母あるは幸いなり 父あるも、また、幸いなり
追記:
何処から情報を得られたのか、私が存じ上げない母の知人が葬儀に駆けつけ、涙ながらに棺に花を手向けてくださいました。杖を突き、介助がなければ堂内まで上がれない方も数人いらっしゃいました。
種々ご事情があれども、「故人の遺志」とひと括りし、遺族の都合で通夜や葬儀を割愛してしまうことは、「生者の意志」を曖昧にして死者への悼みを軽んじているだけではないかと個人的に感じます。