老いて病み恍惚として人を知らず

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昨年8月に組寺の院首さん(住職を退任された先代)が、そして12月には干与人(お寺の責任役員)の院首さんが相次いで遷化(せんげ)された。

 

どちらのお寺さんも、私が幼い頃から自坊との行き来があり、よく知る存在だった。遷化とは、お寺さんの間で使う言葉で、僧侶がこの娑婆世界での教化を他の場所に移すこと、「化を遷す」(=逝去)という意味で遷化という。

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そして、本年4月に師父(実父)が逝った。89年の世壽を全うし、所謂大往生か。もちろん、本宗での往生とは、阿弥陀の極楽浄土への往生ではなく、霊山往詣への出立を意味する。

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師父はこれまでに2度ほど死の淵を経験し、救急救命のお世話になったが、壽命を更に賜っていた。与えられたロスタイムは、進行する認知症との戦いであった一方で、私にとっては今までに無いくらい父のことを考えさせられた数年間だった。

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「すべての葉を失ってしまうようだ・・・」

 

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『ファーザー The Father』という映画を観た。イギリスの名優アンソニー・ホプキンス演じる厳格な父親が、重い認知症を患い、娘と生きていく様を描いた作品である。次第に自分と自分の周りの人々を見失っていく主人公が、物語の終わりに施設の介護人にすがって叫んだ言葉だ。

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患った人間の視点から描いた作品を初めて観たような気がする。最初のうちは、主人公目線でコロコロと切り替わるシチュエーションをよく理解できなくて、頭の中で巻き戻しては整理することを繰り返さないとストーリーについていけなかった。

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健常者はそんな作業を重ねて混乱から立ち直れるが、認知症を患う者は情報を伝えるシナプスが少ないのだからすぐに行き詰まる。新幹線の車窓のように目で追えない光景が過ぎ去り、やがてはかろうじて保たれていた威厳もプライドも孤独のうちにズタズタにされるのだ。
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ふと、風呂場でこっそりと下着を手洗いしていた父の後ろ姿が甦り、思わず私は感極まった。

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癖の強い父を嘲る御仁もいらしたが、まあそんな人は何処の世界にもおいでになる。かく言う私自身も、大学進学のため上京するまで硬直的な考えを押し付ける父の存在が嫌で嫌で仕方なかった。

晩年はかつての個性もすっかり鳴りを潜めて、父は恍惚の人となった。

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静かな、誠に穏やかな余生だった。何を問うても、数分前のことでも「そんなこと覚えてへん!」と笑顔で一蹴し、食卓で孫に絡んでは一蹴され、本堂の石段に腰掛けてうとうとするのが日課だった。

こんなことが何年も続けば、認知症を克服し、全てを達観しているように見えるのだから不思議なものである。

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そして、年々一人ではできなくなることが増え、譫妄や徘徊が始まった。綿帽子が風に吹かれていつまでも宙を舞うように、結末を知るのが惜しいと言わんばかりに、ゆっくりゆっくりと舞い落ちていく。何時もの朝、何時もの指定席、何時もと変わらぬ食卓で、何時ものように孫に絡みながら、談笑しながら、突然に逝ってしまった。事切れる時は誠に呆気ない。

娑婆人界での、孫との最後の距離は数十センチ。私とは800km以上離れていたので、9時間後に対面を果たした。 

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コロナ禍にあり、各老僧遷化の折には、葬儀内容について各寺院で侃侃諤諤議論されたが、地元葬儀社の献身的なサポートもあり、感染症拡大予防対策を取りながら恙なく執り行われた。

これからは、娑婆半世紀を超えて導いてこられた三老僧の年回忌が、1年の間に次々と巡ってくる。亡くなった黒板五郎さんの台詞ではないが、この里山では何時もの様に、春、雪が溶け、夏、花が咲いて、田畑には先達の遺志を継いだ檀信徒が出て、何時ものようにトラクターを動かし、何時ものようにおそくまで働く。

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400年の法華信仰を礎として、これからもずっと変わらぬ営みが繰り返されるのだろう。

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ブナ林画像提供元「能勢妙見山ブナ守の会」

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