先月、子ども達を連れ『未来のミライ』という長編アニメ映画を観た。
「アンパンマン」「ポケモン」「ドラえもん」にモンモン(悶々)としながら観賞(ほとんど、即爆睡 zzz...)していたあの頃に比べると、子ども達も成長し最近は観るに耐え得る作品が続く。
「君の名は」「この世界の片隅に」、そして今回の映画は、思い出深い根岸にある森林公園が舞台になっていた。
出張で上京した際には、横浜のこの公園に立ち寄ることがある。ここは、30年近く関東に住んでいた私にとって、特に思い入れの強い場所。横浜競馬場の跡地を転用しており、敷地は実に広大で、一般的な公園とは異なる特徴的な魅力を備えている。
横浜市の運営だが、JRAが関係しているので、引退した競走馬が繋養されていたり、馬の博物館が公園の一角にあって、公園の歴史や馬についての知識を得ることが出来る。
メインフィールドの芝生は、大小のアンジュレーションがあって、普通に歩いても汗ばんで息が切れるほどの高低差がある。一帯には様々な植物が生息し、訪れる人たちの目を楽しませている。
その中でも、ここの桜?は圧巻!
ほぼ中央部に群生している桜の木々は、遠目に見ると桜色の大きな塊???がうねりながら空中に浮いているよう。お花見シーズンには花見客が大挙押し寄せ、閑静な住宅地が一変、付近一帯は大渋滞となる。花見客の喧騒で雰囲気も台無しなので、私はその時期にはあまり近寄らなかった。
公園のすぐ近くには、美味しいスコーンを出してくれる小さなお店(ForestTable)があり、休日には長男をベビーカーに乗せよく通った。
長男を連れて行ったあの日…
歩き始めて間もない頃だったから、重い頭で身体を左右に振られながらヨロヨロと歩いていた。進みたい方向にはなかなか向かえず、地面の起伏と深い芝に足を取られ、コロコロ転がる。
そして、何度も転んで半ベソで立ち上がろうとした息子が、ふと大地の感触を掌に感じて何とも言えない笑顔を見せた時、私は生まて来てくれた時より強い喜びを感じた。
仏教学者であり宗教家でもある紀野一義氏は、著書の中で「父子の絆」について述べている。
“私は、小さな息子たちのことを思った。この小さな息子どもも、男である。いつかは父である私に対立し、烈しく対立し争うことによって、いよいよ深く父というものを知り、父に出会うに違いない。
真輝は小さく、やさしく、涙もろいが、頑固に自分を主張しつづけることがある。てこでも言うことをきかぬのである。抱えあげられ、二階に連れてゆかれると、小さな心臓が早鐘のように打っている。今にも破れはしないかと案じられるが、途中で止めるわけにはいかない。彼は、私の腕の中で必死に抵抗する。そして最後に力つきて、「もうしない。もうしません。もうしません。」と絶叫する。そして私の胸の中にむしゃぶりつき、抱きついてくるのである。そういう真輝をしっかりと抱きしめていると、父と子という、このどうしようもない、のっぴきならない間柄を、骨をかむように思うのである。
この子と私との出会いは、私に、全く別の面から人生とは何であるかを教えてくれた。これは、私と妻との運命的な出会いに勝るとも劣らぬものである。”
今、私たち家族は、思い出の公園から500㎞離れた大阪で、親子三世代7人で暮らしている。『my home town』は、歌手の小田和正さんが、故郷根岸の情景を詞にした楽曲。
この曲を聴くたび、500㎞の距離を飛び越えて、父と子という、のっぴきならない間柄を、骨をかむように思うのである。