猫、馬鹿、坊主

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年末恒例の消防夜警を終え、本年も残すところあと僅かとなった。

 
地元の消防団に入ってはや5年、班長になって丸2年を迎える。毎年末の夜警も、最初の頃は団員と共通の話題も無く、居場所が無いような落ち着かないような、お互いにギクシャク感があった。私も長く郷里を離れていたし、住職の入団は初めてのことなので、周りも何か余計な気を遣ってしまっていたのかもしれない。
しかし、石の上にも5年目ともなると、夜警の後に皆で囲む鍋は大いに盛り上がる。酒も入り饒舌になった若い連中が、暴露話や噂話を私に持ち掛ける。法事の後席や、普段の世間話では決して見えて来ない内容ばかりだ。
もちろん団員の中には他宗派の檀家さんもいる訳で、住職と幼馴染であったり、仕事上長いお付き合いがあったり、行きつけの店が同じだったりして、長く客観的に我々の世界を見て来ている。僧侶としての普段のお付き合いしか知らない私たちよりも、赤裸々な部分、よくよく僧侶の行状を知っている。「所業を知っている」の方が適切か…

宗教を離れた場で、団員の日常や、生活上の苦労話をフランクに聞けるのは有難いが、酒が入っていなければ聞くに堪えない内容もある。私はいつも素面なので、聞き流せない分ストレスも溜まる。「坊主丸儲け」や「葬式坊主」など、如何にも酒の肴になり易い通説には、誤解の無いよう、ひとつひとつ見解を述べさせてもらう。一方で、フォローしようもない僧侶の体たらくもある。

 

「猫、馬鹿、坊主」
勧めもしないのに上座に黙って座るのは、上記御三方だけという揶揄である。僧侶が信用を落とせば落とすほど、あとには揶揄だけが残るのだ。

正月の一日は日のはじめ、月の始め、年のはじめ、春の始。これをもてなす人は、月の西より東をさして満つるが如く、日の東より西へわたりてあきらかなるが如く、徳もまさり人にも愛せられ候なり。云々
(重須殿女房御返事)
 

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間もなく、日の始め、月の始め、年の始め、春の始めである元旦を迎える。我々は、心尽くしの新年を過ごすことで、かけがえのない月にも太陽にもなり得る。
そして、本当の幸せは、自分の心から涌き出でて、我を飾る。

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