便利?!

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

先日、コンビニで買い物をしていたら、レジの方から大きな怒鳴り声が聞こえた。
 
「おい!いつまで待たせんねん!」
40代くらいの客が、列の後ろで叫んでる。レジの店員は、買い物の他に公共料金の払い込みをする客の対応に、少々手間取っていたようだ。
とはいっても、10分も20分も待たされている訳ではなさそうだったし、列を作っているのも3人くらい。間もなく別の店員が慌てて出て来て、「申し訳ございませんでした!2番目でお待ちのお客様どうぞー」と促す。
 
何となく気付いていたけれど、最近のコンビニではレジに客が2人以上並ぶと、疾風の如く店員が現れて別のレジを開ける。どうやら「レジに列を作らせない」「利用客を待たせない」というのが、従業員マニュアルの中でも、プライオリティの高い所にありそうだ。
確かに、急いでいる時には助かる。オフィス街などの貴重な昼休みに迅速に対応することは、集客のポイントになるだろうし、サービス向上にもつながるのだろう。お客さまの心理状態までも考え、常にジャストフィットを目指すサービスのあり方は、同業種の激しい競合から生き残るための必須事項なのかもしれない。
 
そんなお客さまサービスが浸透し、客の満足度・好感度アップに成功すると、今度は逆に3分待たされるだけで「ん?!どうなってんのかな。」って、イラッとしてしまうことってないのだろうか。
私自身、過去にあった。もしかしたらこの先、1分でも、或いは30秒でも、トラブルの元になるかもしれない。(昔、即席麺が登場した時、「えっ!たった3分で食べられるの?!」って、嬉々として待っていたものだけどなぁ…)
ひと昔前の5分が、今では10分にも20分にも感じられてしまい、トントンと物事が進まないと損した気分になってしまう。
「便利」でなきゃ、「不自由」に感じてしまう。
「不自由な時間」は、「無駄な時間」に思えてしまう。
「不便さを楽しむ」余裕が無いというより、そのものの価値を放棄している。
身近なところでも、そんなことがずいぶん増えたように思う。
 
とりあえず、立ち止まることから始めてみよう。何をするでもなく、先ずは心を自由にして、世の中の流れを客観的に眺める。だって、世の中の仕組みに振り回され続けるのも癪じゃないか。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ