@供養の心としきたり( ー人ー)|||~~~ ナム…葬儀(2)

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第一章 葬儀について
 
今回は『末期(まつご)の水』『湯灌(ゆかん)』についてご紹介します。
本日の (´ρ)ヘぇー その1 「末期の水を取る」「死に水を取る」と言う言葉の意味には、病人を最後まで世話をするという意味が含まれていて、死者との生前の関わりの深さを表しています (´ρ)ヘぇー
 
その2
以前は、湯灌に使う水の汲み方や、使った水の捨て方にも「しきたり」がありました。たとえば、湯灌に使う水の汲み方は、汲みに出かけた者を必ず誰かが後から呼びに行く「声かけ水」。湯は必ず左ヒシャクですること (´ρ)ヘぇー 湯を沸かすにしても日常の釜戸ではなく、庭で沸かしました (´ρ)ヘぇー
湯を混ぜる場合には水を先に入れ、次に湯を加えて作る「逆さ水」の風習もありました。これは、今でもその様な白湯(さゆ)の作り方はいけないと嫌われています (´ρ)ヘぇー また、使い終わった場合は、日の当たらない場所に捨てること。つまり、死体を拭いて汚れているから直接太陽に当たらないようにしたのです。これは太陽に対する信仰で、祟りを怖れたからです。また、縁の下などの日の当たらないところに捨て地神の怒りに触れないようにしたとも言われています (´ρ)ヘぇー
 
Q8 末期の水とは
 
A 末期(まつご)の水は死を迎えた人の渇きを癒してあげるものですが、本来は息を引き取る直前に行われていたようです。
末期も水の起源には、お釈迦さまが入滅の直前に水を求め、これを鬼神が捧げ奉ったと言う説があります。
お釈迦さまが、インドのクシナガラ村の沙羅(さら)の林で倒れられました。その時、お年八十歳になっておられましたので自分で死期を悟っておられたのです。
お釈迦さまは、阿難尊者を呼んで「喉が渇いた。水が欲しい。水をくんできてくれ」と三度水を所望されました。阿難尊者は裏の河端に立って思案されました。というのは、その河の水が赤黄に濁っていたからです。すると不思議なことに、阿難尊者の手にした鉢に、天から浄水が注ぎ込まれました。ふと我にかえって阿難尊者が見上げると、鬼神の後ろ姿が雲の中に消えていくのが見えたのです。この鬼神はヒマラヤの守護神で、お釈迦さまの危篤を知って八つの功徳水を持って来て下されたのです。お釈迦さまは、この甘露水を飲んで満足して瞑目されたと言うことです。
また末期の水の意味としては、最期を看取る人にとって「何とか再生して欲しい」という願いもあるでしょう。或いは、安らかに眠って欲しいという気持ちもあるでしょう。
また、冥界の衆生は、心地が乾くので水を供養する。新亡の心地は乾くといえども法水をもって潤す故に菩提の芽を生ずる。例えば堅い種子の殻より芽を生ずることも水の縁に因るが如くであると言う説もあります。
人間誰しも死の前には身体が熱して、水を要求する状態になると言われます。けれども、それが思うように飲めないのです。そこで、脱脂綿に水を含ませて病者の唇を濡らしてあげるのです。この様に水の欲しい状態は死後も続いているのですから、死者には浄水供養を忘れないようにして下さい。
最近末期の水は、遺体を清める前にすることが多いようですが、医師より臨終を告げられたら直ぐにでも家族・親族が順番に末期の水を手向けてあげたいものです。
末期の水の取り方は、お箸(割り箸など)に脱脂綿かガーゼを巻き付けて白い糸で縛り、水を含ませて軽く唇を浸します。枕飾りをした後では、湯呑み茶碗に水を入れ、その中に樒(シキミ)の葉を一枚浮かべ、その葉で亡くなった人の唇を潤ませるようにします。
また「末期の水を取る」「死に水を取る」と言う言葉の意味には病人を最後まで世話をするという意味が含まれていて、死者との生前の関わりの深さを表しています。
 
Q9 湯灌(ゆかん)はどうするの
 
A 死後の世界へ清らかな身体で旅立って欲しいという思いから、納棺の前に故人の身体を湯水で拭きます。それを湯灌(ゆかん)と言います。
また、湯灌には、亡くなった人の霊を復活させる呪術的な意味があったと言いますし、古くは斎川浴(ゆかわあみ)と言って、川の水で不浄な身体を清めたとも言います。
湯灌の仏典での典拠としては次のような話があります。
「み仏が滅度された後、どうすればよいでしょう。」
と、阿難が仏に尋ねました。
「葬法を知りたいなら、転輪聖王(てんりんじょうおう)のようにしなさい」
と、仏が答えられました。
「転輪聖王の葬法とはどのようなものでしょう」
と、阿難がまた尋ねました。
「それは先ず香湯をもって体を洗浴することだ」
と、仏が答えられました。
この様に「湯灌」には、清める意味があります。人は産まれたときには「産湯(うぶゆ)」で清め、亡くなったときには「湯灌」で清めます。つまり、裸一つで来たものは、裸一つになって、身をきれいにして帰ると言う意味を表しているとも言えます。
また体を清めるだけでなく、男性の場合は髭を剃り、頭髪を整えます。女性は薄化粧などをし、死に顔を整えてあげます。病みやつれがひどいときには、ふくみ綿をします。これを「死化粧」と言います。
以前は、湯灌に使う水の汲み方や、使った水の捨て方にも「しきたり」がありました。たとえば、湯灌に使う水の汲み方は、汲みに出かけた者を必ず誰かが後から呼びに行く「声かけ水」。湯は必ず左ヒシャクですること。湯を沸かすにしても日常の釜戸ではなく、庭で沸かしました。湯を混ぜる場合には水を先に入れ、次に湯を加えて作る「逆さ水」の風習もありました。これは、今でもその様な白湯(さゆ)の作り方はいけないと嫌われています。また、使い終わった場合は、日の当たらない場所に捨てること。つまり、死体を拭いて汚れているから直接太陽に当たらないようにしたのです。これは太陽に対する信仰で、祟りを怖れたからです。また、縁の下などの日の当たらないところに捨て地神の怒りに触れないようにしたとも言われています。
能勢地域では、湯灌は三人で行い、地区によると男一人と女二人と決めて行ったようです。
湯灌に使った水は、当日埋け墓に持って行く地区や、翌日灰葬の時に持って行く地区もあります。
湯灌の時には、周りの人に見られないように逆さ屏風をしていたようですが、屏風がない時は、フスマを横にして屏風の代わりをしたようです。
湯灌を行っている間に弔問者は、屏風の外からお経・お題目を唱えていました。その法華経・お題目の力によって、死後硬直が軟化したと言われています。
湯灌の後の綿を詰める役目は、以前は隣組や講の人たちにしてもらっていたようです。つまり遺族は、亡くなった人を物として扱うのにどうしても抵抗があったからです。
しかし現在では、病院で亡くなった場合は、病院でしてくれるようですし、それ以外は葬儀社がしてくれるようです。
 
Q10 昔の湯灌の仕方
 
A 座棺に入れて屈葬する時には、湯灌は納棺の直前に行っていました。
死後硬直は人が亡くなると間もなく始まり、一定時間をおいて再び軟化しますが、その時には死臭が発生しますから屈葬する場合は、それまでに納棺する必要があり、人工的に硬直を解く必要がありました。湯灌とは、その為の生活習慣でもあったのです。
死体の硬直を軟化するには、死体を寝かせたまま腕を数回上下することによって肩の硬直を和らげ、次に肘の関節を内側に曲げて腕の硬直を解きます。
一番困難なのは、首・腰・膝ですが、それは死亡とともに足を折り曲げ、蹲踞(そんきょ)の形にして縛って寝かせておくようにします。そうしない場合は、湯灌によって硬直を解きます。
一例として、死者の寝かせてある部屋の畳一枚を裏返し、その上に湯灌用のたらいを置き、水・湯・ヒシャク・タオルを用意し、人は数人必要としました。そして死者を裸にして、たらいの上に両足を置いて寝かし、最初はヒシャクの右で水をすくい、ヒシャクの左からたらいに移す。次に40度から45度の湯を同様な形で足首・膝に注ぐ。普通の死者は、10分から15分繰り返すことによって柔らかくなってきます。次にたらいの上に座らせ、湯を注ぎ、上半身の硬直を解きます。こうすることによって座棺に納めることができたのです。
 
★大阪豊能宗務所発行『供養の心としきたり』より★

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