勇師法縁の縁祖・日勇聖人御正忌法要

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昨日12月23日、護国寺で勇師法縁縁祖・法性院日勇聖人の
御正忌法要、並びに縁祖廟参がありました(。-人-。)

護国寺は元々、僧侶が修行する檀林と呼ばれる道場で、御開山は日勇聖人です。
そしてその日勇聖人の御廟(お墓)があり、
毎年この日に、京都勇師法縁寺院が集まり、報恩の誠を捧げます!

本堂には、檀林時代から伝わる日勇聖人の肖像画と、大曼荼羅御本尊が掲げられました

この日勇聖人の画像をよく見てみると、御袈裟に菊の御紋が入っていますw( ̄△ ̄;)wおおっ!

実は日勇聖人は、正保年中(1644~1647)に時の天皇、後水尾天皇と皇后の東福門院さまに、
法華経の講義をなされており、∑( ̄Д ̄;)なんとっ!!
その時、大変お喜びになられた東福門院さまは、檀林に方丈・大講堂を寄進され、
更には自ら縫った菊の御紋・金紋袈裟を二領下賜されたのです!!
以後、山科檀林の歴代化主(住職)は着衣を許され登檀することになりますが、
この御袈裟は、日蓮宗史上はじめて許された金紋袈裟であると言われています( ̄□ ̄;)!!
のちに日勇聖人は二領の内、一つを本山 妙傳寺へ送り、
残る一領を護国寺の寺宝として付し、現在も大事に格護されています。

この日勇聖人のもとに集まった弟子(学僧)たちが、やがて一つの学閥を形成し、
法縁(ほうえん)と呼ばれるものとなっていきます!
この日勇聖人を始祖とする法縁を「勇師法縁」といい、ここから更に、
通師法縁(堀之内法縁、千駄ヶ谷法縁、一ノ瀬法縁、雑司ヶ谷法縁)・潮師法縁といった法脈を生み出します
今でも京都では、法縁の結びつきが強く、いつも集まる度に和気藹々としています♪
昨日も遅くまで、法談に華を咲かせておりました・・・

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まぁ、私は法縁の各聖にノロウイルスをうつしたらいけないので、
法要と廟参以外は自粛
賑やかな声を子守歌代わりに、就寝させていただきました(mー_ー)m.。o○ zZZZ
私も参加したかったぁ~!!
以上、縁祖御正忌法要でした(。-人-。)

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