室町時代、京都の七割は日蓮宗だった!?

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

現在、京都といえば各宗派の総本山が立ち並び、日蓮宗というと
「あぁ、関東の仏教ね!」と言われる雰囲気ですが、一時期、京都に住む人の七割が日蓮宗の檀信徒になった時期がありました。
 それは、応仁の乱のあとの室町時代です。当時の京都は戦乱や天災がたて続きに起こり、政治も不安定な時代でした。そんな時、苦しみに喘ぐ民衆を救ったの がお題目の教えでした。日蓮宗の先師はこぞって、京都での布教に励み、上は公家や大名、下は一般大衆にまで信徒を獲得していきました。特に町衆(まちしゅう)と言われる、裕福な商工業者に信徒が多く、町衆は、京都の復興の中心的な存在で、自治と団結を進め、京文化を形成していきました!現在も行われている祇園祭(日本三大祭りのひとつ)ですが、
昔は法華祭りと言っていたそうで、鉾(ほこ)には大曼荼羅御本尊が掲げられていたと伝わっています。
町衆 公家の日記にも、
「京都に日蓮宗が繁昌して、毎月二ヶ寺三ヶ寺と寺院が建立され、京都の中は大方お題目であふれかえっている」
とあり隆盛が見られます。往時には洛中に二十一ヶ寺の本山を擁し、
「皆法華」とまで称されていました。まさに、この世に出現した仏さまの
おられる浄土のような所が、京都だったのです。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ