な〜んちゃって こちらはじしゅ(地主)戌王権現(犬坊丸・日昭聖人の叔父)
私が当主です。池上遼一風に仕上げてもらいました、現実物もすこし老いてまする。
当山にご関心いただく皆様へ
お釈迦様は、約2500年も前にすでに社会を生きる上の苦悩のワケを覚られました。
そして、生命力を与える業と奪う業を特定され、その人その人に合わせた生命力を得る方法をお教えになりました。
〈方便:ウパーヤの本来の意味〉
それが、仏典という膨大な教えとして残されている所以です。いわば、救いのカルテの山です。
これらはすべて、この「生命力を与えたましいの力をとり戻す方法」という目的に一貫したものです。
そのために、まずご自身が出家沙門となられました。決して国や妻子を捨てたのではありません。小国の王となる者としての国丸ごとの生存戦略を企てられた。(と、お釈迦さまのご意思は私に伝わってきます。)
なのに、
残念ながら日本佛教は江戸期にその釈迦佛教の力を失ってしまいました。明治・大正・昭和も不可能でしたが、今ならば本来の佛教が取り戻せる時が来たと思います。
社会化:交換関係でしか関係を見出せない、閉じられた心理状態に適応埋没せず、それでいて応対し、交換関係以外の関係〈たとえば、言語化・概念化される以前、規定される以前、損得勘定化以前の世界を共有出来る関係〉を知っていて、実行する。それが社会でイキヌク(生き抜く・息抜く)唯一方法です。社会を生きるには社会を生きない時間が必須です。
釋潮叡 当山十五代当代山主
昭和44年2月のはじめ当山に生れ、父による僧風修行のなかで育つ。
15歳でお山へ修行に上がり、身延山九十世日勇法主に侍し、横浜妙香寺宇都宮恵行御前に仕え、身延山大学学長宮川了篤先生の食客書生となる。
大いに佛道に疑問を抱き、方々見聞。
横浜片倉長遠寺津島正義(自称義兄)との、ボルネオ島沖の小島での名状しがたい万物からの圧倒的贈与体験をし、世界の見え方が反転する。差取りという意味でのさとりに開かれた。
以来、その遣師となるべく、竹内日祥・竹内敏晴・鳥山敏子・レオニードアニシモフ・村山幸徳に師事遍歴する。
法華修験「遠寿院荒行堂」満行。
ようやく、宗教の役割、佛教の人類的文脈を掴み、これからの社会において明らかに欠けたるものを補うすべに至り、老若男女童男童女のイキイキを守る、佛道本来の役目を果たすべく、寺観一新に取り組んでいる。
岐阜刑務所教誨師
Nたま(NGOスタッフ研修)18期生
荒野塾2024春秋塾生