5月14日、小倉百人一首で有名な嵯峨常寂光寺(長尾憲佑住職)で、開山究竟院日禛上人第四〇〇遠忌報恩法要並びに本堂落慶音楽法要が行われた。
雲一つない晴天に恵まれ僧侶・檀信徒300名以上が出席し、本堂内に留まらず外まで参拝者で埋め尽くされた。
本堂は、伏見城の客殿が江戸初期に移築されたものであり、屋根は上部が緩やかに盛り上がった「むくり屋根」、反対に下部は反り返った屋根の2層であり寺社建築としては大変珍しい形をしていた。しかし昭和初期の大修理で本瓦葺から平瓦葺に改修された。以来、風雨の浸食により老朽化が著しかった為、82年ぶりの大規模改築工事を決意され、開山日禛上人の400遠忌の事業として移築当時の本瓦葺での改修に踏み切った。長尾住職によると、「むくり屋根」は公家屋敷で、反り返った屋根は武家屋敷に多く使われ、公家出身の開山日禛上人が両者を組み合わせたと考えられると言う。
また挨拶では、「本堂が無事元通りに完成したのは皆様のご支援、ご協力のお陰と感謝致しております。先代住職は伽藍のほとんどを解体・修理しておりますが、この本堂のみ気に掛けていながら行う事が出来ませんでした。その本堂の解体・修理が行えた事で先代住職の想いに応えられたのかなと感じております。このような立派な本堂が出来上がったので沢山の方々にこれからご参拝頂きたい。」と述べられ、最後に修理に携れた方々に感謝の意を伝えた。
法要後には、立正大学名誉教授中尾堯文師により「常寂光寺の仏様」と題し、記念講演が行われた。「3文字の寺院がほとんどの中、常寂光寺は4文字の寺院名である理由は、法華経の中にある4つの世界の頂点である浄寂光土のように、常寂光寺が素晴らしい仏様の浄土であるようにと先師がお付けになられた。」と、時代背景と合わせて解りやすく公演された。