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6月19日、御題目講「仏様の教えの奥深さ」

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こんにちは、副住職です。
6月19日の当山御題目講にも多数のご参詣をいただき、誠にありがとうございました。
 
今回も、住職からの法話をまとめましたので、是非ご覧ください。
6月に入り、梅雨も本番かと思いきや、今年は首都圏のダムが渇水状態という話題が出るほどの空梅雨気味ですね。
人が生きていくうえで欠かせない水。
今月は、そんな水に関係する日蓮聖人の御遺文『実相寺御書』の「源竭(つく)れば流れ尽きる」という一節に関してでした。
『実相寺御書』は、現在の静岡県富士市の本山実相寺(当時は天台宗)に住まわれていた日蓮聖人の弟子の日源上人が、実相寺の住僧から質問を受けたことについて、日蓮聖人がその回答を与えられた書状です。
日蓮聖人は、その住僧の経論の誤読を指摘され、正しい解釈を述べられました。
そしてレベルが浅い教えは尽きると説かれたのです。
この御遺文は、実相寺内において、日蓮聖人の弟子への迫害があり、それに対する激励と訓示の書でもあります。
 
この実相寺御書には、様々な例え話が出てまいります。
「根露(あらわる)れば、枝枯れ」
根っこが露出してしまうと、枝は枯れてしまいます。
それは、根っこが水分や養分を吸収するので、根っこが外に出てしまっては生きていけませんね。
これは、ちゃんと大地に根を張っていないと植物というのは成長できませんし、生命活動ができないということを表しています。
これは何をたとえているかといいますと、仏様の教えにも「深さ」があるということです。
表面的な教え、誰にでもわかる教えというものは、浅い教えです。
それに比べて、「法華経の教え」というのは、奥が深いのです。
我々が「法華経の教え」を理解しようとしてもなかなか奥まで届かず、表面だけをとらえがちです。
それは、お釈迦様がお説きになられた教えの中でも、一番奥深い教えとして最後に説かれたのが「法華経」だからです。
ですから、なかなか簡単には理解ができません。
「法華経」よりも前に説かれた比較的わかりやすい教えというのは、先ほどの例えで言うと、根っこがすぐに露出してしまうような、あまり根が張っていない教えであると言えます。
根っこが深ければ、そう簡単に根が抜けることもなく、枯れることもありません。
その根っこが深いのが「法華経の教え」であるという例えであります。
 
そして、もう一つの例えとして出てくるのが
「源竭(つく)れば流れ尽きる」
というものです。
この「竭」とは、「渇」と同じで、渇水や渇くという意味です。
源に水がなくなれば、川の流れは最後まで続いていきませんね。
冒頭の話のように、ダムの水がなくなってしまえば、我々の所に水が流れてこなくなってしまいます。
また「源遠ければ、流れ長し」という例えもあります。
「源遠ければ、流れ長しと申して、一切経は根あさく流れちかく、法華経は根深く源遠し」
「法華経」は、水源から常に水が湧き出ており、水脈の部分もしっかりしているのです。
 
法華経以前の経典のことを「爾前諸経」といいます。
「爾前諸経」は、教えを聞く相手の能力に応じて説かれた方便の教え、随機説法と言われます。
その人の能力にふさわしい、いわばレベル1~9までの段階的な教えです。
これに対して「法華経」はレベル10の最高の教えです。
方便に対して、法華経は真実の教えであります。方便とは、真実に導くための手段です。
みんなの能力をレベル10の段階まで引き上げたいとお釈迦様は願われます。
しかしながら、いきなり大学や大学院レベルの話をしても理解ができないので、小学生・中学生レベルの方便をたくさん用いて、レベル10の「真実の法華経」まで導いてくださるのです。
このようにお釈迦様は、すべての我等衆生を「法華経の教え」に導くための手段として、方便の教えをたくさん説かれました。
それゆえ「爾前諸経」は、根が浅く、源が近い。わかりやすい教えではあるけれど、そこに満足して安住しているだけでは、お釈迦様の真意に目覚めることはできません。
これに対して「法華経」は根が深く、源が遠い。すべての教えを統括した真実の教えなのです。
 
典型的な例として、浄土念仏の教えは、古代インドのマガダ国の王妃であった韋提希の歎きに応じて説かれた一時避難的な教えであり、根の浅い教えなのです。
方便の教えは、真実の教えが現れた時に消える運命です。これを「源竭れば流れ尽きる」と表現されたわけです。
いっぽう、真実の教えは源から渾々と水が湧き出ているので尽きることはありません。
しかしながらその水も、自分勝手に乱用すれば、汚染したり流れを絶やしてしまうかもしれません。
 
法華経は根が深く、奥が深い。
過去世、現在世、未来世という三世にわたる、久遠のいのちが説かれているのが「法華経如来寿量品第十六」なのです。
仏様の生命が永遠だということは、私どもの魂も永遠であることを意味します。法華経の教えを鏡とするとき、自分の過去世も未来世も見えてくるのです。
目先のことに囚われて、自分本位な生き方ばかりしていると、魂の成長レベルが下がってしまいます。
限りある人生を生きぬく中で、私たちは様々な困難や試練を経験しながら、今の自分が果たすべき役割と責任に目覚め、魂の成長をはかることが求められているのです。
この世限りのいのちではなく、脈々と受け継がれている魂を感じること。
法華経の教えには、その脈々と受け継がれ、流れが長く、根が深い、永遠のいのちのネットワークが説かれているのです。
日蓮聖人は、そうした自覚をもって困難な現実社会を生き抜くことが最も大切であることを身を以て示されました。
そして、そのための処方箋が御題目を通して常に私たちに与えられ、いかなる苦難であっても、それを克服する道が必ず開かれることを実証されたのであります。
 
自らの魂の成長をはかるため、何事にも一生懸命に生きていかなければならないな、と改めて感じさせられました。
さて、来月7月19日の当山の御題目講は、お盆のお施餓鬼(せがき)となっております。
多勢のお坊さんと共に法要を厳修いたします。
7月19日14時からですので、皆様のご参拝お待ちしております。
裕真。
 

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