4月19日、御題目講 「晴れやかな心のつくりかた」

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こんにちは、副住職です。
4月19日の当山御題目講も無事に終了致しました。
今回の住職の法話は、日蓮聖人の御遺文の中でも有名な『観心本尊抄』の後半に出てきます「天晴れぬれば、地明らかなり」という一文に関してでした。
『観心本尊抄』は、日蓮聖人が自身の信仰を説きあらわされた「法開顕の書」ともいわれる最も重要な書です。
書名が示すように「心を観察する」ことと「御本尊」との関係を示しておられます。
自分の心を観察してみますと色々なものが見えてきます。
穏やかな天の心、迷いの多い人の心、 怒れる修羅の心、 物事の道理がわからない畜生の心、私利私欲を貪る餓鬼の心、そして地獄の心。
このように心の中に六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の心が見えてきます。
自分の心の悪い部分を徹底的に見つめつつ、良い部分は伸ばしていく、これを観心の修行といいます。
しかしながら、末法のこの世を生きる私たちにとって、観心の修行というのはなかなか難しいです。
では、この世を生きる私たちは、どのような心持ちで生きていけば良いのでしょうか。
日蓮聖人は「観心」という考え方をベースにしながら、「私たちは仏様の世界の中に生かされているんだ」という謙虚な心を持つことが大切であると説かれました。
これこそが「信心」なのです。
仏様という存在は、私たち全体を包み込んでいらっしゃいます。
私たちは、その一員として、一人一人が個性をもち、生きていくこと、活躍していくこと、役割を担っていくこと、それこそが仏様のいのちを支えていることになるのです。
自分の心の中に仏様を観ていくというのが「観心」、
仏様の世界の中に自分が生かされているんだという自覚を持つのが「信心」。
逆転の発想ですね。この発想の転換をするのが日蓮聖人の『観心本尊抄』なのです。
末法のこの世を生きる私たち一人一人が、使命感、役割をもち、信心をもって、この社会の中に生きていく、それをお題目が導いてくださるのです。
この『観心本尊抄』の末尾にあるのが、今回の「天晴れぬれば、地明らかなり」という一文です。
空が晴れれば、地面が明るくなることは道理です。
逆に、空が曇れば、地面が暗くなります。
同じように、人の心が晴れれば、社会は明るくなり、人の心が曇れば、社会は暗くなってしまいます。
私たちは、個人のためにも、社会のためにも、晴れやかな心をもつように努力していきましょう。
自分自身が晴れやかな心をもつことで、社会はきっと明るく輝いてきます。
では、晴れやかな心をもつためにはどうしたらよいでしょうか。
それは、正しい姿で手を合わせ「合掌」し、お題目を唱えていくことです。
晴れやかな心は、何事にも手を合わせる心、感謝の心をもつことによって育ち、つくられていきます。
地獄のような心から天のような心まで、自らの六道の心を両手で包み込み、仏様の世界の中に生かされているんだという謙虚な気持ちと、自分の心にも仏様を感じ、万物に生かされていることに感謝の気持ちを持って合掌する。
正しい姿勢で合掌をしてみると、自然と肩の力が抜けて、心も穏やかになってきます。
実際、合掌によるリラックス効果も証明されているようです。
このような正しい姿勢を心がけることによって、自分の心が晴れ晴れとしていき、それが他の人にも良い影響を与え、社会全体が明るくなっていくのです。
「合掌」で人生と社会を晴れやかにして参りましょう。
住職からはさらに、「天と地」の喩えは、実はもっと深い意味があり、「仏法と世法(世間)」の関係を指しているという説明がありました。
世俗の価値観にとらわれがちな私たち凡夫。
仏様は、そのような私たちのおろかさをご存じです。
世俗の価値、私利私欲を求めても、本当の心の満足は得られない、それこそが魂の目覚めなのです。
仏法こそが人間のおろかさを気づかせ、真実に目覚めさせてくれるものであります。
世俗の価値観にどっぷり浸かっている私たちに仏法の大切さを気づかせようとされたのが日蓮聖人なのです。
「仏法は体の如し、世間は影の如し」とも喩えられます。
世間を良くしていくためには、自分本位の仏法受容ではなく、お釈迦様の真の御心を考えるべきなのです。
影を直しても、体は正しくなりません。
影を直すのではなく、体である仏法を正しく受容する姿勢が大切なのです。
だから日蓮聖人は、自己中心的な仏法受容や、ご都合主義の信仰を厳しく批判されました。
根本的に重要なのは仏法のあり方であり、仏法は本来、世法に対する規制力をもつのです。
末法の今こそ、仏法の真実性を考え、お釈迦様の真実の教えを明らかにし、真実の法を立てることにより、ようやく世間が安定していくのです。
それが「立正安国」の精神だと、鎌倉時代を生きた日蓮聖人は主張されました。
このお釈迦様の真実の教えこそ「法華経」なのです。
現代を生きる私たちも、日蓮聖人が命をかけて残された「南無妙法蓮華経」のお題目と共に、世間に対する問題意識をもちながら、前向きで晴れやかな心をもって生きていきましょう。
以上のように、当山の御題目講では、わかりやすい法話から仏教の深い話まで、住職がお話しております。
是非、興味のある方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
参加ご希望の方は、お電話、メールにてご一報くだされば幸いです。
次回の御題目講は、5月22日14時からとなっております。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
裕真。

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