【推薦図書】黒川伊保子著『キレる女 懲りない男』(筑摩書房『ちくま新書』988、2012年)

 人工知能(AI)プログラミングの研究者だった著者が、脳科学の分野から男女の性差を語る。脳の性差、女性脳・男性脳の取扱説明書、夫婦という道のり、孔子の人生訓と脳年齢など、脳の構造を知り尽くした感性分析の第一人者によって、性や年代で異なる脳の特性に基づく、日常に寄り添った男女脳論が展開される。

【本文抜粋(取意)】
 男女の脳は、装置として見立てれば、まったく別の装置である。(中略)自然を司る神は、人類に必要な感性を真っ二つに分けて、男女それぞれの頭蓋骨に搭載したらしい。これらを一つの頭蓋骨にハイブリッドに納めようとすると、頭蓋骨の容積が格段に大きくなるし、とっさの判断が数秒も遅れることになる。人類という系で見れば、こんなに合理的な「種の保存」システムは他にありえない。この世に二つの脳があるということ。私たち男女は、一組で完成体である。その特性は大きく違い、違うからイラつくけれど、違うからこそ組む意味がある。(48~50頁)

 なにせ、過去を反復する癖のある女性脳である。たった一回、至極のことばをいただければ、未来永劫、たった今、そのことばをもらったかのように想起し続ける。(中略)妻に対してなら、「きみの味噌汁を飲むもの三十年になるなぁ」としみじみ言うのも、趣深い。累々と重ねてきたことが、夫婦の絆として成就したことを、夫のことばで知らされる。妻にとっては、ことさら褒めてくれなくても、感謝を口にしてくれなくても、ダイヤモンドをもらわなくても、人生が肯定された至福の瞬間だ。喧嘩して口も利かないのに、味噌汁だけは飲んでいった朝、つわりがひどいのに「味噌汁もないのか」と言われて泣いた晩…そんなネガティブな思い出も、すべていい思い出に変わる。「この人にとって、私の味噌汁はそんなに大事なことだったのね」と愛しさでまとめるからね。黒が白にパタパタとひっくり返る、オセロゲームの逆転劇のようなものだ。(107~108頁)

 男の妻になる、あるいは男の母になるということは、「相も変わらず、やや上機嫌で穏やかに暮らしを紡ぐ人になってやる」ということだ。それ以上でもなく、それ以下でもない。そんな「相も変わらぬ、暮らしを紡ぐ人」に責務を果たし続けることが、男性脳に安寧を与え、愛着ポイントが降り積もっていく。そうして、結婚の後半には、男性脳の確信のほうが深くなるのである。妻の「この人しかいない」で始まり、夫の「この人しかいない」で終わるのが結婚なのかもしれない。(169頁)

 夫婦は歳を重ねる毎に、不思議な愛着がひたひたと溜まってくる。恋が終わって、情がわく。脳科学上、夫婦という道のりはそのように設計されている。相容れない相手と束の間の相席を楽しむのが人生だと思ってみれば、すれ違うことがなかなかにおもしろくなってくる。(中略)その可笑しさの果てに夫婦の愛はある。恋愛の後に腹立たしさがあり、腹立たしさの先に可笑しさがあり、可笑しさの果てに、不意に失えば慟哭するほどの愛しさがある(はずである)。(179~180頁)

 そして、その最期のとき、脱水症状が続き、脳にエネルギー源であるブドウ糖が届かなくなると、神経系の緊張を緩和する脳内ホルモンが出て、脳は、恐怖感や痛みからも解放される。脳は、人生の最後のその日まで、優しくその道のりをエスコートしてくれる。私たちは脳という装置と上手に付き合い、最期は、すべてをゆだねれぼいいのである。(194~196頁)

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