当山は、『鬼平犯科帳』『剣客商売』など、池波正太郎の時代小説にもしばしば登場します。以下にその一部を抜粋します。
『剣客商売』「女武芸者」(新潮社、1973年)
善性寺(ぜんしょうじ)門前をすぎた三冬は、肩で風を切るようにして坂本二丁目と三丁目の境の小道を、左へ切れこんだ。右手には和泉屋から借りた提灯を持ち、なんと左手は小生意気(こなまいき)なふところ手にし、要伝寺(ようでんじ)の塀に沿ってななめ右へ曲った。
このあたりへ入ると、道も暗く、人の往来も絶えている。前面には木立と百姓地がひろがってい、景観は、まったく田園のものに変る。
間もなく根岸の里になるわけだが、ものの本に、
「呉竹(くれたけ)の根岸の里は上野の山陰(やまかげ)にして、幽婉(ゆうえん)なるところ。都下の遊人これを好む。この里に産する鶯(うぐいす)の声は世に賞愛せられたり」
と、あるように、諸家の寮や風流人の隠宅がすくなくない。
要伝寺の塀がつきて、寛永寺領地の鬱蒼(うっそう)とした木立が右手へあらわれた。
三冬は立ちどまって、
「雪か・・・」
と、つぶやいた。
『剣客商売』辻斬り「三冬の乳房」(新潮社、1983年)
夕餉(ゆうげ)を馳走(ちそう)になり、三冬が和泉屋を出たのは五ツ(午後八時)をまわっていたろう。
女ながら井関一刀流の剣士で、颯爽(さっそう)たる男装の三冬だけに、夜歩きをしたところで案ずることもない。
すらりとした体を黒の小袖と茶宇縞(ちゃうじま)の袴(はかま)につつみ、細身の大小を腰にした若衆髷(まげ)の佐々木三冬は、むらさき縮緬(ちりめん)の頭巾(ずきん)をかぶり、上野山下から車坂へ出て、坂本通りを北へすすみ、坂本二丁目と三丁目の境の小道を西へ切りこんで行く。
(あ・・・そうじゃ。ちょうど、去年の今ごろであった・・・)
三冬は、要伝寺(ようでんじ)の前へさしかかったとき、おもい出した。
あの夜。この先の木立の道で、三冬は四人の曲者(くせもの)の奇襲をうけ、あやうく重傷を負うところを、秋山小兵衛に助けられた。
(あのとき、小兵衛先生を、はじめて見たのだった・・・)
三冬の、小兵衛老人へ対する思慕の念は、いまもって消えはせぬ。いや、いよいよ強い。
だか、いかに小兵衛を慕(した)ったところで、どうにもなるものではない。そして、自分と同年のおはるを小兵衛が嫁にしていることなど、三冬は夢にも考えていなかった。
小兵衛が三冬を見る眼(まな)ざしは、まるで、自分のむすめに対するようなものだし、三冬自身も、それは、さすがに感得できるのである。
(いかに、わたしが秋山先生を、お慕いしたとて・・・どうにもならぬことじゃ)
なればこそ、小兵衛に会うのが辛(つら)い。
『鬼平犯科帳』巻19「雪の果て」(文芸春秋、1990年)
藤田彦七の浪宅を出た木村忠吾は、要伝寺(ようでんじ)の門前を左へ折れ、坂本の大通りへ出た。
すると、その後ろから、いつの間にか小間物の女行商の姿をした密偵のおまさが近寄って来て、振り向いた忠吾へ★(めくば)せをし、先へ立って歩みはじめた。
おまさが忠吾をみちびいたのは、車坂をのぼり切ったところの凌雲院の前を左へ行き、上野山内の木立の中へであった。
どこかで、鶯(うぐいす)が鳴いている。
木々の枝の芽がふくらみ、土の香りが濃かった。
「おまさ、どうした?」
「旦那。要伝寺が見張り所になりましてね」
「えっ、藤田彦七の浪宅の前の、あの寺か?」
「はい」
「ずいぶんと早いことだな」
平蔵の指令で、今朝から、そうなったという。
要伝寺には、同心・小柳安五郎(こやなぎやすごろう)が密偵二名と詰めているとのことだ。
そして更に、先程、木村忠吾が出て来た細道を見わたせる坂本通りの畳屋の中二階へも見張り所を設け、ここには同心・沢田小平次が、おまさと彦十と共に入った。
★は、「目」扁に「旬」
『鬼平犯科帳』巻19「雪の果て」(文芸春秋、1990年)
すでに長谷川平蔵は、細川同心を従えて、中ノ郷・横川町の怪しげな家を見に出かけているし、前後して、与力の金子勝四郎(かねこかつしろう)が同心と密偵の二名を連れて横川町へおもむき、どこかへ見張り所を設ける手筈になっていた。
(これは、いそがしくなるぞ)
~中略~
「そうだ。お前は、一足先に出て、要伝寺の見張り所へ、このことを知らせてくれ」
「ようござんす」
腰をあげたおまさが、何気なく、中二階の小窓の隙間から外へ目をやって、
「あ・・・」
「どうした?」
「出て来ましたよ」
「何、藤田か?」
「ええ・・・」
忠吾も見た。
筋向いの細道から、藤田彦七があらわれ、上野山下の方へ行くのが見えた。
そのうしろから、要伝寺に詰めている密偵の為造(ためぞう)があらわれた。
(もしやすると、気ばらしに、湯島の治郎八へでも行くのだろうか・・・それならば都合がいい。酒を酌みかわしながら、うまく聞き出せる)
と、忠吾は大刀をつかんで、
「おれが藤田を尾ける。後をたのんだぞ、おまさ」
「はい」
畳屋の裏口から出た木村忠吾は、大通りへ出て行き、密偵の為蔵に追いついた。
「あ、旦那・・・」
「よし。藤田は、おれが引き受ける。要伝寺へ帰っていてくれ」
「手つだわなくてようござんすか?」
「何、藤田は一杯やりに行くのだろうよ」
「さようで。では一つ、お願い申します」
『仇討ち』「顔」(角川書店、1977年)
「あばよ」
外へ出ると、ちらちら降り出していた。
紙の中には一分(いちぶ)銀が二つ入っていた。
(ふん)
鼻でせせら笑ったが、小金吾の顔は変に硬張(こわば)っていたようだ。
(今夜は、どこをねぐらにするか・・・)
道を右へ切れこむと、突き当たりが要伝寺という寺で、その向こうに田圃がひろがっている。
(このまま、凍え死んでしまいてえなあ・・・)
ふらふらと雪の中を歩いて行く小金吾のうしろから、
「お待ち下さいまし」
声が、かかった。
「だれだね」
「ふなやの女房でございますよ」
「ほう・・・」
要伝寺の門前であった。
おしんは半蔵にもいわず、そっと裏口からぬけ出し、小金吾を追って来たものらしい。
『江戸の暗黒街』「だれも知らない」(角川書店、1979年)
「人ひとり、斬っていただきたい」
必死のおもいで半五郎はいったのだが、浪人は平気な顔で、
「殺すのだね」
念を押した。
「い、いかにも・・・」
「金をいくらくれるね?」
「さ、三十両、では、いかがで?」
「安いな」
「それが精いっぱいのところで・・・」
三十両といえば、現在の百二、三十万というところであろう。
「殺しの事情(わけ)は?」
「それは、その・・・」
「いえぬのか。よし、きくまい。そのかわり五十両いただきたい。だめなら、ことわる」
「いや、出します、出します。な、何とかこしらえます」
~中略~
「うむ・・・で、殺す相手は?」
「下谷・坂本裏の要伝寺内に住む浪人で、名を井関十兵衛という。もしやすると変名をつかっているやも知れぬが・・・年は三十一歳。そうだ、この唇の右下からあごへかけて刀の傷痕(きずあと)が残っている筈(はず)でござる」
「ふうむ・・・それだけきけば、じゅうぶんだな。おれの名は山口七郎。貴公は?」
「夏目、半五郎と申す」
『江戸の暗黒街』「だれも知らない」(角川書店、1979年)
(ああ、いやだ。父上はなぜ、十兵衛と喧嘩(けんか)なぞしたのだろう…)
落ちついていられなくなると、半五郎は、近くの根津権現(ごんげん)・門前にある岡場所へ娼婦(しょうふ)を買いに出かけた。
井関十兵衛を見たのも、こうした一日であって、昼あそびの女の白粉(おしろい)の香がべったりと残っている躰で、半五郎がふらふらと根津権現の境内へ歩み出したとき、右側の茶店の奥の腰かけで酒を飲んでいる十兵衛を偶然に発見したのである。
「あっ…」
おもわず声を発し、半五郎は横飛びに逃げ、道をへだてた木蔭(こかげ)から様子をうかがっていると、十兵衛は酒をのみ終え、やがて編笠をかぶって道へ出て来た。
堂々たる体格で、悠然(ゆうぜん)と地をふみしめて行く十兵衛の後姿を見ると、
(ああ…やはり、おれには斬れない)
ためいきをついた半五郎だが、しかし、せっかく見つけた敵である。居所だけでもたしかめておこうという気もちがうごき、びくびくしながら後をつけ、十兵衛が坂本裏の要伝寺内へ入るのを見とどけた。
そして、三日ほどかかり、十兵衛が要伝寺の庫裡(くり)の離れに住んでいることを確認したのである。
~中略~
夜ふけに忍びこんで、十兵衛がねむっているところを斬ろう、とも思い、一度、ふるえながら要伝寺内に忍びこんで見た。
このときは、便所へでも起きたらしい寺僧が渡り廊下から、
「そこにしゃがみこんでいなさるのは、だれじゃ?」
大声でとがめられ、半五郎は冷汗びっしょりとなって狂人のように逃げ出したものである。
こうしたときに…。
夏目半五郎は、乞食(こじき)浪人の山口七郎を発見したわけであった。
『江戸の暗黒街』「だれも知らない」(角川書店、1979年)
翌日から三日ほど、山口浪人は坂本の要伝寺へ、井関十兵衛の様子をさぐりに行った。
山口七郎は捨蔵の着物を借り、髪も町人まげにゆい、刀も差さず、すっかりかたちを変えて出かけて行ったのだが…。
三日目に帰って来て、
「おい捨蔵。やめにしたよ」
と、いう。
「いけませんかえ?」
「なかなか強そうだ、その井関十兵衛という男」
「ふうん…」
「だまし討ちにかかるような男ではない。おれと斬(き)り合って五分五分だよ。向こうも斬るかわり、おれも斬られる」
「うしろからお殺(や)んなすったら、どんなもので?」
「それがさ。めったに外へは出ぬし…そうだな、昨日な、浅草まで出かけたので後をつけて見たが…」
「ふん、ふん」
「後姿に毛ほどの隙(すき)もねえ」
「へへえ…」
「相当なものだ。やるとしたら、こっちも、いのちがけよ」
「ふうん…」
「つまらん。後金の二十五両はほしいが、むりをしてやることはねえわさ。おれは今夜から当分消える。あとはたのむぞ。なに、どこへ行ったか見当もつかぬ、と、そういっておけよ、あの夏目とかいう男にな」
『江戸の暗黒街』「だれも知らない」(角川書店、1979年)
「おのれ。まんまと二十五両をだまし盗(と)られた…」
ついにさとったらしい。
「まったくねえ。あの山口七郎先生というのは、大した悪党でごぜえますからねえ。この私なぞも何度その、泣かされたか知れませんので、へい…」
「そ、そうか。やはり、そんなやつだったのか」
「へい、へい」
「おのれ。出会ったら只(ただ)ではおかぬ」
憤慨しつつ、半五郎は帰って行った。
その足で半五郎は、坂本の要伝寺をさぐって見ると、どうも井関十兵衛は要伝寺から姿を消したらしい。
「お寺の離れに住んでいた浪人さまは、四日ほど前に、旅姿で、朝早くどこかへ出て行きましたよ」
と、寺の前の百姓家の女房が、半五郎の問いにこたえた。
その通りである。
井関十兵衛は、このごろ、どうも落ちつかなくなっていた。
(だれかに、後をつけられている)
という直感であった。
~中略~
その後も、要伝寺のまわりをだれかがさぐりまわっているらしい。
寺の小坊主(こぼうず)が、
「あやしい男が庭の茂みにしゃがみこんでおりました」
といったが、それも十兵衛にとっては気味がわるい。
~中略~
つにい井関十兵衛は、要伝寺を引きはらって逃げたのであった。
『江戸の暗黒街』「だれも知らない」(角川書店、1979年)
腰の大刀を抜きはらい、境の襖(ふすま)を開け、賊は突風のように寝所へ躍りこみ、
「さわぐな」
白刃(はくじん)を十兵衛の裸の背へ突きつけた。
~中略~
賊は、手向いをしなければ殺すつもりはなかったらしいのだが、十兵衛は町医者に似合わぬあざやかな体のさばきで脇差をつかんだものだから(もうこれまで)と思ったのであろう。
「くそ!!」
片ひざを立てて脇差を抜こうとした十兵衛へ刀を打ちこんだ。
「うわ、わわ…」
賊も只者(ただもの)ではない。間髪を入れぬ斬撃(ざんげき)であって、十兵衛もかわしきれなかった。
血飛沫(ちしぶき)をあげ、十兵衛が倒れ伏した。
「う、うう…」
そのうめきが最後で、彼は、あっけなく即死したのである。
~中略~
死んだ井関十兵衛を見下し、
「ばかな野郎だ、まったく…」
舌うちを洩(も)らした。
この賊…なんと、乞食(こじき)浪人の山口七郎なのである。
三年前、夏目半五郎にたのまれ、坂本の要伝寺附近で、遠くから十兵衛の顔や姿を見かけもしたし、一度は、浅草まで後をつけたこともある山口浪人だったが、そのことはもう忘れてしまっている。
いま、はね起きたときの十兵衛の顔を見るには見たが、口のまわりからあご、のどもとにかけて、見事に手入れをされた長いひげや、見ちがえるように肥(ふと)った十兵衛の顔貌(がんぼう)をちらりと見たところで、三年前のことを思い出すわけがなかった。
(文責 高森大乗)