年齢などをごまかし、異なる年齢を伝えることを「サバを読む」と言います。
この語源は種々ありますが、実は、仏教に深いご縁があります。
この「サバ」は「生飯(さば)」や「散飯(さば)」ではないかという指摘があり、僧侶が食事の際、自らの飯椀から仏様へ一部を取り分け、お供えすることを意味します。
これらは、今こうして食事ができることの感謝を伝え、自分のみ頂くのではなく、仏祖三宝にお供えし、餓鬼や畜生といった飢えに苦しむものに少しでも分かち合えるようにする布施行とつながります。
現代の「サバを読む」は、自分のためだけの自己中心的な考え方ですが、仏教の意味から考えれば、多くの人々に布施行を行う慈悲の心を養う行いなのだと思います。
この慈悲の心で養われた人々は、仏祖三宝のお力で他者を思いやる心が宿ります。この「サバを読む」という言葉にはとても大事な生き方が見えます。