門前の小僧習わぬ経を読む

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 うちの嫁さんがパートで不在の週末は、
私が子守りをするわけですが、
午前中は檀家さん宅への月忌参りがあります。
子供たちだけで留守番させるわけにもいかず、
一緒に檀家さん宅へ連れて行くことも。

 私がご回向している間は絵本を読んだり、
お絵描きをしていましたが、
長女は7歳、次女は6歳、
文字も少しわかりはじめ、
お仏壇の前で私の横に正座して、
お経本を見て読むができるようになり、
開経偈(かいきょうげ)は暗記してスラスラと唱えています。
 
 先日初めて、
わんぱく盛りな5歳(この時は4歳)の長男を
月忌参りに連れ出したところ・・、
お経本の文字は読めませんが、
両手は合掌し、
意外にもジーッと最後まで正座してお勤めすることができたことに驚きました。
 しかも「むじょ〜じんじん、みみょうのほうは・・・」と開経偈を、
二人の姉たちが家で唱えていたのを聞いて覚えていたのか、
ほぼ暗記して唱えていました。
なるほど「門前の小僧 習わぬ経を読む」とな。

 この開経偈は、
正確には、お経を読む前にお唱えする言葉で、
法華経を読む心構えが説かれています。 

 「この上なく深い妙(たえ)のみ法(のり)である法華経には、
はかりしれないほどの長い間生きていても、
出会うことは難しいのです。
 しかし、私は今、お釈迦さまが本当の心を明かされた真実の教えである法華経に出会い、
お経の文字を見聞きし、受けたもつことができました。
どうか、お釈迦さまの説かれた第一の優れた教えを信じ習いきわめることができますよう、
心から誓願いたします。
 最高の大いなる法華経の教えを、私の小さな考えによって理解しようとするのではなく、
法華経を見聞きし、お経の文字に素直にふれて知ることが、
そのまま、みな共にみ仏の悟りに近づく、
と信じて法華経を読んでまいります。
 法華経の教えを説かれているのは、
限りない命をとこしえに輝かし、
いっさいを救い導こうとされているお釈迦さまです。
 法華経に説かれている教えは、
すべての生きとし生けるものを仏にしようとされているお釈迦さまの悟りのお心です。
 法華経にしるされているお経のひとつひとつの文字は、
そのままお釈迦さまのお姿そのものです。
 お釈迦さまが長い間積まれた、はかりしれない功徳は、
みな、このお経に集まっております。
 このゆえに、法華経を信じれば、
おのずから香りに染まるように、
法華経の功徳は私の体にしみついて、
知らず知らずのうちに、まことの利益をもたらします。
 智慧のある者も、智慧のない者も、
これまでおかしてきたすべての罪をなくし、
善を生ずることができます。
 法華経を信じる者も、そしる者も、
この法華経の広大な功徳につつまれて、
みな共に仏になる道を成しとげることができます。
 過去・現在・未来の世の、もろもろのみ仏は、
この法華経を悟って仏になられました。
 そのはかりしれない深い悟りの心が、
妙なる法華経に示されております。
 いくたび生まれかわっても、
いつの世に生きようとも、
このありがたい法華経にお会いし、
おしいただいて信じ続けることを、
心からお誓いします。」
(日蓮宗信行経典 鎌倉新書)

 まだ子供たちはこの開経偈の意味もよくわかっていませんが、
少しづつお経の話をしてあげながら、
子供たちの心にある「仏の種」が芽生えて行くことを願い、
お経参りに連れ出しています。

 この日お参りに伺ったお檀家さま、
3人の子供たちがお仏壇に向かって手を合わせている姿を
やさしく見守っていただき、
また、こっそりと写真をとって下さりありがとうございました(^^)

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