坊守のひとりごと24’8

 先月、叔母が2年間の闘病生活を経て亡くなりました。癌でした。姪の私が叔母の病状を知らされたのは、病気が分かってから1年程経ってからだったと思います。長崎に住む叔母とは時々電話をする仲でしたが、病気が分かってからは頻回に私に電話をかけてきては、「まりちゃん、コーヒーカップいる?終活中~」「懐中時計もらってくれない?思い入れがあるものだから捨てれなくてね。」。物持ちの良かった叔母でしたが、随分と沢山のものを処分していました。その時にはもう色んな臓器に転移していたようで、もしかしたら叔母は余命を知っていたかもしれません。

 冬が過ぎ春に差し掛かる頃には、長く電話で話すのがきつくなってきた、と言っていたので、週に1度、私はウォーキング中の風景や子供たちの写真をラインで送っては近況を伝えあっていました。

 7月初め、いつも早朝に送ってはすぐに既読がついて返事がくる叔母からのラインがいつまで経っても既読にならず。嫌な予感がして実家の母に聞くと、入院したとの返事。それから一週間後亡くなったとの知らせが入りました。死に対する恐怖を口にすることはなく、唯一「心残りがあると言えばおじちゃん(旦那さんのことをこう呼んでいました)を置いて一人で行くことかな」と。足に障害のある叔父の生活を最後まで心配していました。通夜も葬儀も、亡くなったあとの手続きもすべて完璧に段取りし、最後の最後まで叔母らしい生き方だったな、と感心させられました。

 明日は三七日忌。これまでの叔母とのラインを読み返しながら手を合わせたいと思います。

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