2月9日(日)、当寺の第24世住職、大塚至孝(温常院日教)上人の第50回忌法要を親族が参列して営みました。
至孝上人のご命日は昭和51年(1976)5月19日、世壽77歳で小衲の祖父であります。
僧侶が亡くなることを「遷化(せんげ)」と申しますが、至孝上人遷化時、小衲は6歳でしたので恥ずかしながらその人柄などほとんど憶えておりません。
至孝上人を知るお檀家さんからは、のんびりとして温厚な人柄であったと聞いております。
至孝上人は、明治33年(1900)に福井県で生まれ、10歳で同県妙泰寺にて出家、18歳で向学の志をたて上阪、大阪市西区の妙見寺(現在は移転)村瀬至準上人を師に得度、大正13年(1924)に兄弟子である当寺23世、美馬至雄上人の後を継いで24世住職となりました。
以来50年間住職を務め、宗内外の要職も歴任、昭和48年(1973)、師父教行上人に住職を継承して引退されました。
住職中の一番のご苦労は戦災からの復興であろうと思います。
太平洋戦争末期、昭和20年(1945)7月4日未明の「徳島大空襲」により市内一円は焼土と化しました。
当寺も全て焼失し、同じく戦災を受け大変な檀信徒の皆さまと共に力を合わせお寺を再建しました。
焼け跡に建てた仮住まいから始め、25年後の昭和45年(1970)に現本堂が完成し、25世住職となった師父の代に庫裏(居住部分)や山門が再建され、境内や墓地、庭園も順次整備されて現在に到っております。
平成22年(2010)、小衲が26世住職を継承させていただきましたが、戦災からの再建・復興と、今のお寺があるのは24世至孝上人と25世教行上人、支えてくださった檀信徒の皆さまの並々ならぬご尽力のおかげであります。
お寺の長い歴史の中、様々な困難や苦労がありますが、歴代の住職、檀信徒の皆さまのお寺を大切に思うお気持ちに応えるべく、これからも大切に護持させていただき、次代に繋げてまいりたいと存じます。