久々のお参り
4月13日(月)、師父が住職を務める海部の法華寺にお参りしてきました。
昨年6月に鬼子母神講信行会の皆さんと参拝以来久々のお参りとなりました。
市内から県南へ車で約2時間、JR海部駅から海の方へ、鞆浦漁港にある昔ながらの漁師町の奥まったところ、愛宕山(あたごやま)の斜面に法華寺は建っています。
(見事な向拝虹梁上の彫刻)
お寺の縁起によると、祖師堂(そしどう)にご奉安されている日蓮大聖人ご尊像は、像高二尺ほどで、大聖人が伊豆御流罪後に感得された一本の霊木より三躰造立されたうちの一躰と伝えられ、大阪府和気(わけ)の妙泉寺、鳥取県阿毘縁(あびれ)の解脱寺と共に「一木三躰のお祖師様」といわれ、また「海部のお祖師さま」、誰もいない祖師堂からのお経を聞いた人もおり「読経のお祖師様」ともお呼びし、県内外より広く信仰を集めています。
もとは法花村(現徳島市八万町法花)にあった法華寺(地名の由来となった)でお祀りされていましたが、天正5年(1577)、土佐(高知県)の長宗我部元親による侵攻の戦火で堂宇が消失、焼け跡より読経の声がし、兵がご尊像を発見して妖怪の仕業かと背に一刀を加えると、傷口より鮮血が噴き出し、驚き恐れて河に投げ捨てると「ああ冷たや」と声がしたといいます。以来、この河を冷田川(つめたがわ)、架かる橋を冷田橋と呼ぶようになったそうです。
その後天正16年(1588)、海部鞆浦の沖が毎夜光明を放つという不思議が起こり人々を驚かせました。皆、水際に集まり数日眺めていましたが、霊物が沈んでいるに違いないと網を入れるとこのご尊像がかかり、村人総出でお手繰りにて倉に納め、文禄元年(1592)に一宇を建立、寛永3年(1626)に当地に遷座したのが法華寺の歴史です。
同寺は善学寺ともご縁があり、総欅造りの現祖師堂は江戸末期の文久元年(1861)、20世日膽上人代のもので、発起人として多額の寄進をしたのが全国に「阿波藍」を商い財をなした善学寺のお檀家さんのご先祖さまです。
高知県境で少し遠いですが、一木三躰、大聖人と同じく焼き討ちの難・刀難・流難の御難に遭われた霊験あらたかなお像、見どころも多い海部の法華寺に是非一度お参りして頂きたいと思います。
(藤が咲き始めていました)