平成25年2月3日、「節分星祭」のお詣りです。
当日は、晴天の日曜日とあって大勢の檀信徒の皆さんがお詣りくださいました。
読経の後、皆さんお待ちかねの豆まきです。当山の福豆は小さなナイロン袋に小分けにしていますが、それぞれに「福豆」と書いた紙がついており、その裏側にスタンプがあれば「当たり」です。「当たり」も特等の「蓮」から末等の「雪」までいろいろ。今年の運試しと、皆さん毎年とても楽しみにされています。この「福豆」は当たり外れがありますが、法要の最後に行う「福引き」は空くじなし。何かしらのお土産を持ってお家に帰ることが出来ます。「節分星祭」は賑やかで、何となく楽しい行事です。
法要の後で次のようなお話をしました。今年は巳歳ですが、日蓮聖人の御書の中には「蛇」(当時は“くちなは”と呼んでいたようです)が登場するものがいくつかあります。
『随自意御書』(弘安元年、宗祖五十七歳、於身延)の中に次のような一節があります。
法華経と申すは随自意(ずいじい)と申して、仏の御心(みこころ)をとかせ給ふ。仏の御心はよき心なるゆへに、たといしらざる人もこの経をよみたてまつれば利益(りやく)はかりなし。麻(あさ)の中のよもぎ・つゝ(筒)の中のくちなは(蛇)・よき人にむつぶもの、なにとなけれども心もふるまひ(振舞)も言もなを(直)しくなるなり。法華経もかくのごとし。なにとなけれども、この経を信じぬる人をば仏のよき物とをぼすなり。
【現代語訳】
法華経というお経は、随自意といって仏のお心を説かれたものである。仏のお心は良きお心であるので、たとえ深く意味がわからなくても、法華経を読めば利益(りやく)は限りなく得られるのである。ちょうど麻の畠の中に生じたヨモギのように、また筒の中へ入った蛇が自然にまっすぐになるように、良き人と仲良くなると何とはなしに心も行ないも言葉づかいまで、素直に良くなっていくようなものである。法華経もこれと同じで、何とはなしにこの経を信ずる人を、仏は自然と良きものになると思うのである。
「筒の中へ入った蛇が自然にまっすぐになるように~」とは面白い表現ですね。
「朱に交われば赤くなる」と同じような意味で使われているようですが、私たちの人生で良き人、良き教えとの出会いは本当に重要なことです。良き出会い・縁を大切にして、本年も皆様にとりまして、より良き年になりますようお祈りいたします。