「それは それとして」 十三日講

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1月13日(日)、午前10時半、厳しい寒さの中、新年初の「十三日講」のお参りをいただきました。

檀信徒の皆さんと一緒にお経を読み、お題目を唱え、お昼には当番講中(青江新田)の方々のお接待により客殿にて簡単な昼食をいただきました。

当日、以下のような短かいお話をいたしました。

お正月、NHKの「こころの時間」という番組を見ました。
明治3年に金沢に生まれた仏教学者 鈴木大拙を紹介する番組でした。鈴木大拙は英語に堪能で、欧米に仏教の禅の思想を紹介した学者として有名です。番組の中で、当時、鈴木大拙の秘書のような役割を務めていた岡村美穂子さんが大拙の思い出を語っていました。

その中で印象的だったエピソードが「それは それとして」です。
鈴木大拙のもとには、多くの方がさまざまな相談に来られました。ある時、もめ事を抱えてご夫妻で見えられた夫と妻両者のお話を、大拙は丁寧に聞いた後、「それは それとして」と切り出して、ご自分の意見を述べ、アドバイスをしたそうです。岡村さんによると、大拙は「それは それとして」という言葉をよく使ったようです。

「それは それとして」という言葉は、問題の次元を変える働きがあるように思われます。私たちは日頃、さまざまな問題を抱えて生活していますが、その問題が本当に重要なことかどうかを吟味しないで悩んでいる場合も多々あります。実は些細なことなのに、自分の中だけでこだわってしまい、自分自身で問題を作り出している場合もあります。小さな欠点を直そうとして、全体をだめにしてしまうという意味で使う「角を矯(た)めて 牛を殺す」ということわざを思い出す方もいらっしゃるでしょう。「本当に大切なことは何か?」これを考えることが最も重要なことではないでしょうか。

宗祖日蓮大聖人は、法華経を鏡として、法華経を行動の指針として生涯を送られました。私たちも日々の生活の中で、自分の欲得や好悪のみを判断の基準にするのではなく、法華経の教えを学び、法華経を指針として生活できるようにしたいものです。

何か悩んだとき、人間関係に困った時に「それは それとして」とつぶやいてみると、うまくいくこともありますよ。

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