龍口法難!?

先日、お寺で年回忌のご法事を行った時の出来事です。

法要も終わり、お墓参りの準備をしていると、参列していたご親族の女性から質問がありました。
「日蓮聖人は、あの龍口で処刑されたのですか?」
妙勝寺の本堂には、日蓮聖人のご生涯を描いた絵がズラリと飾ってありますから、その絵をご覧になってのご質問だと思いました。
「そうですよ。日蓮聖人は他宗からの訴えによって、松葉谷の御草庵で幕府によって捕らえられ、鎌倉の街中を経て、江ノ島の近く龍口という場所で、まさに首を切られようとしました。ところが、諸天善神のご加護により奇跡が起こり斬首を免れたのです。文永8年9月12日の出来事です。」と説明したところ、その女性は少し不思議そうな顔をして、「岡山の龍ノ口ではないんですか?」と、ぽかんとされました。

なるほど。岡山市内にも「龍ノ口」という地名があり、そこには龍ノ口八幡宮や龍ノ口グリーンシャワーの森があります。どうやら、そちらの「龍ノ口」と勘違いされていたようです。
「日蓮聖人は、おそらく岡山にはおいでになっていませんよ。若い頃、比叡山で勉学に励まれていた時代には、京都や大阪などへ学びに行かれたこともありますが、岡山まで来られたという記録はありません」と説明しました。
日蓮聖人が斬首されそうになった「龍口」は、鎌倉の西方、現在の藤沢市にある龍口です。岡山にも「龍ノ口」があるとは、ちょっと紛らわしいですね。日蓮聖人の龍口法難を説明するつもりが、思いがけず岡山の「龍ノ口」の話になってしまいました。

ところで、なぜ日蓮聖人は、龍口で処刑されそうになったのでしょうか。日蓮聖人は、法華経こそが人々を救う大切な教えだと信じ、その教えを広めるために、当時の仏教のあり方を厳しく批判しました。また、地震や飢饉などの災難が続いていたことを憂え、「正しい仏法を立てて、国を安らかにすべきだ」と鎌倉幕府にも強く訴えました。今でいえば、宗教者が時の権力者に対して、命がけで自分の信念を訴えたわけです。その結果、他宗からの反発・訴えなどを背景に、日蓮聖人は幕府によって捕らえられ、ついには龍口の刑場へ送られることになりました。
しかし、法華経を守護する諸天善神のご加護により、龍口での処刑を免れた日蓮聖人は、その後、配流の地である佐渡へ向けて出発します。北国佐渡では、足かけ4年にわたる厳しいご生活を送られましたが、その困難な環境の中で、法華経への信仰をさらに深め、多くの重要な著作を著されました。
龍口法難から佐渡流罪へ。日蓮聖人のご生涯において、この時期は、まさに大きな転換点でもありました。

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