先先先先代住職のご親族のお詣り

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妙勝寺は、寺伝によると南朝年号の興国三年(1342年)、大覚大僧正妙実上人によって開かれた寺院です。
室町時代の初期、いわゆる南北朝時代にあたります。
爾来、栄枯盛衰はありますが、680年法灯を継承して現住職で52代になります。

先日、現住職からいうと4代前の御住職、妙勝寺第48世 常説法院日きょう(辶+交)聖人(大橋玄章上人)の曾孫に当たる方がお詣りに来られました。

この方は現在東京在住で、お坊さんではありません。たまたま仕事の関係で岡山に来られたので、妙勝寺に立ち寄られたとのことでした。
ご高齢の伯母さんから岡山に行く機会があれば、お墓に参って欲しいと頼まれていて、今回その約束を果たすことができたと喜ばれていました。
寺庭婦人が歴代の墓所にご案内して、墓前で手を合わせていただきました。
突然のご訪問でしたので、私は法務で出かけていたのですが、丁度帰り際にお会いして少しお話をすることができました。

不思議なご縁をいただきました。

大橋玄章上人については詳しいことが分からないのですが、記録によると元治元年(1864)愛媛県の生まれ。妙勝寺48世、当新田教会2世、青江教会1世。大正7年(1918)55歳でご遷化とあります。大正3年の「日蓮宗寺院名簿」では、大橋上人は「岡山県第一部録所 録司」(現在でいうと岡山市宗務所長)という役職にあり、また明治36年には日蓮宗寺院 20 ヵ寺の協力を得て妙勝寺内に孤児、生活困窮家庭の子どもを収容する「仏教慈善教養所」を設立したとの記述もありました。たいへん立派なお上人だったようです。

ちなみに「日きょう上人」の「きょう」の字は、「交」に「しんにょう」がついた字なのですが、コンピュータには収録されていない漢字なので変換することができません。最近のパソコンは何でも教えてくれますが、この漢字については知識がないようです。刊本である『広漢和辞典』(大修館書店)には収録されていました。流石です。

 

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