久しぶりに思い出の公園(根岸森林公園)に立ち寄ってみました。
関西の方はあまりご存じないかもしれませんが、この『根岸森林公園』は30年近く関東に住んでいた私にとって、特に思い入れの強い場所なのです。横浜競馬場の跡地を転用しただけに敷地は実に広大で、一般的な公園とは一線を画す特徴を備えています。メインフィールドは芝生ですが、大小のアンジュレーションがあって、普通に歩いても汗ばんで息が切れてきます。多種多様の植物があちらこちらに生息し、子供連れの夫婦や恋人、ジョガー達の目を楽しませています。
その中でも、ここの桜は圧巻です!ほぼ中央部に群生している桜の木々は、遠目に見ると桜色の大きな塊がうねりながら空中に浮いているよう!私はあんなに豪快な桜を初めて見ました☆(* *)//
お花見シーズンには花見客が大挙押し寄せ、閑静な住宅地が一変、付近一帯は大渋滞となります。花見客の喧騒で雰囲気も台無しなので、私はその時期にはあまり近寄りませんでした。公園のすぐ近くには、美味しいスコーンを出してくれる小さなお店(ForestTable)があり、休日にはベビーカーを押してよく通いました。
横浜市の運営ですがJRAも関係しているので、引退した競走馬が繋養されていたり、馬の博物館が公園の一角にあって、公園の歴史や馬についての知識を得ることが出来ます。
長男を連れて行ったあの日…歩き始めて間もない頃でしたから、重い頭で身体を左右に振られながらヨロヨロと歩きました。進みたい方向にはなかなか向かえず、地面の起伏と深い芝に足を取られ、コロコロ転がります。
手を貸してやりたい〝親心″と、「しっかり歩いてみろっ!」の〝パパ心″が交錯して、一人悶々とする私(^^ ;
そして、何度も転んで半ベソで立ち上がろうとした息子が、ふと大地の感触を掌に感じて何とも言えない笑顔を見せた時、私は生まて来てくれた時より強い喜びを感じました。
仏教学者であり宗教家でもある紀野一義氏は、ご著書の中で父子の絆について触れられていました。
私は、小さな息子たちのことを思った。この小さな息子どもも、男である。いつかは父である私に対立し、烈しく対立し争うことによって、いよいよ深く父というものを知り、父に出会うに違いない。
真輝は小さく、やさしく、涙もろいが、頑固に自分を主張しつづけることがある。てこでも言うことをきかぬのである。抱えあげられ、二階に連れてゆかれると、小さな心臓が早鐘のように打っている。今にも破れはしないかと案じられるが、途中で止めるわけにはいかない。彼は、私の腕の中で必死に抵抗する。そして最後に力つきて、「もうしない。もうしません。もうしません。」と絶叫する。そして私の胸の中にむしゃぶりつき、抱きついてくるのである。そういう真輝をしっかりと抱きしめていると、父と子という、このどうしようもない、のっぴきならない間柄を、骨をかむように思うのである。
この子と私との出会いは、私に、全く別の面から人生とは何であるかを教えてくれた。これは、私と妻との運命的な出会いに勝るとも劣らぬものである。
そう、親と子や夫婦の間柄だけにとどまらない、
「祖父母」と「孫」
「兄妹」どうし
「嫁」と「姑」
「年老いた父」と「あの頃大嫌いだった父の年になった自分」
「年老いた自分」と「子供たち」
…
そんな、複雑怪奇な間柄(?!)に包まれながら、私たちの世代は何が本当に大切なのかを、知らずの内に学びました。家庭の中で学習していたのです。
今、私たち家族は、私の故郷で親子三世代暮らしています。『my home town』は、金沢区出身の小田和正さんが、この辺りの情景を詞にした楽曲です。
この曲をを聴くたび、小学校の帰り道に通り過ぎた、雨上がりの田んぼの焚火や、湿った草の香りなど…
そんな何とも言えない懐かしさがこみ上げてきます♪
小田和正~my home town~ (Cover)