【静岡県御前崎】原発がないと走り続けられない仕組み

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

先日、東京池上にある宗務院の帰り、御前崎を周ってきました。

『静波海岸』『相良海岸』から『なぶら海鮮市場』まで海岸線を走らせ、遠州灘を左手に眺めながら岬の突端まで来ると、アカウミガメの産卵で有名な砂浜近くに出ます。その後、中部電力浜岡原子力発電所から、牧之原台地の広大な茶畑を抜け、牧之原インターチェンジまでを車で流しました。
この辺りは、私の家内の実家だった地域で、2005年10月に榛原郡相良町、榛原町が合併して牧之原市が誕生しました。現在の住まいに移るまでの間、私は妻や子供を連れてよく遊びに行きました。「嫁に下さーい!」と絶叫(?!)したのも此処。暗くなるまで子供と貝殻を拾い集めたのもこの場所。私達家族にとっては、大変に思い出深い土地だったのです。
 
お隣の御前崎市は、2004年4月に榛原郡御前崎町と小笠郡浜岡町が合併し、市制施行されました。市の南部に中部電力唯一の原子力発電所である浜岡原発を有し、市民1,200人の雇用と予算の4割以上が原発関連歳入であることを理由に、原発との共存を表明している石原市長が3選を果たしています。因みに浜岡原発の4号機は、プルトニウムで燃料を精製するプルサーマル方式の原子炉です。
旧浜岡町時代に原発を受け入れてから約40年の間に、約450億円の原発関連交付金が地元を潤し、2011年度の一般会計当初予算約168億円のうち、原発関係の固定資産税と交付金などは約71億円で、4割超を占めたといわれています。(中日新聞)
確かに、原発交付金のおかげで公共施設やインフラが整いました。しかし、潤沢な資金で器ばかりを大きくしたツケは、年間数十億という維持管理費に跳ね返ってきます。
 
『原発がある地域は、原発がないと走り続けられない仕組みになっている。』(西原牧之原市長)のです。
 
牧之原台地の上まで来ると、画像の様な広大な茶畑が一面に広がります。浜岡原発の北側に位置する牧之原台地を含め、牧之原市の大部分が原発から半径20㎞圏内にあり、周辺地域振興対策交付金を受けています。
牧之原市は2011年9月に浜岡原発の永久停止を宣言しており、電力会社と安全協定を結んでいる原発周辺の地元自治体としては、原発に反旗を翻したともいうべき異例の決議でした。但しこの決議は、市民に対する原発リスクと共に、スズキをはじめとする市内に工場等を持つ有力企業への配慮が優先しているようです。
 
車を止め、茶畑の中を少し歩いてみました。茶畑の中には、数多くの鉄塔が林立しています。送電線はあちこちの鉄塔を介してジョイントを作り、蜘蛛の巣のように四方に張り巡らされています。恐らく浜岡原発の電気を、この台地を起点にして各地に送っているのだと思います。
福島の悪夢がここで起これば、国内最大規模の茶の産地は消滅するでしょう。
 
如何なる原因であろうとも、不可抗力であったとしても、進行形で被災している福島の現状を目の当たりにしているにもかかわらず原子炉を稼働し続ける限り、この先に起こるあらゆる原発事故は「人災」です。
人災は人間の「英知」で、未然に防ぐことが可能なはずです。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ