第三章 各行事について
『お盆』についてのお話(2)です。
本日の (´ρ)ヘぇー
その1
能勢地方の送り火は、十五日の早朝のようです。それも午前零時を過ぎたら先を争って近くの川の端などで、送り火を焚かれるようです。夜が明けてから送るという人もありますが、「早く送ってあげた方が、彼方の世界でよい場所を取ることができる」と、言う理由が一般的な解釈のようです。特に新ぼとけさんが遅れると他の人の荷物まで持たされるから可哀想という話もあります (´ρ
)ヘぇー
その2
町中に出てきた奉公人が、休みをもらって田舎に帰る。その草深い田舎のイメージが「藪に入る」という表現になったとも言われます (´ρ)ヘぇー(´ρ
)ヘぇー
Q4 お盆と霊魂
A 日本の霊魂信仰とは、亡くなった人が「あの世」に行ってしまうのではなく、この世に留まりたい、あるいは「あの世」に行ってもしばしば交流が行われるように思っていたようです。その様な考えが霊魂信仰の土台となっているのです。
そこで、民俗学者の柳田国男氏は、日本人の霊魂の行方について四つのパターンがあると説明しています。
① 体が死んでも霊はこの国に留まって、あまり遠方には行かない。
② 霊魂は常に現実に生きている人との交流が可能で、どちらかの意識によって招かれたり、招いたりすることができる。
③ 死者の霊は、子孫のために最後の瞬間に念願したことは達成できると思っている。
④ 霊という存在は、再びこの世に生まれ出て同じ仕事をできると思っている。この様な考えがあったようですが、この中で①と②の考えが盆行事と結びついたと思われます。
その為に精霊棚という霊魂の宿る場所が必要となりました。
ただ、人間は勝手なもので、古い時代では農耕サイクルのちょうど狭間、農閑期の時に一定の期間を設けて霊魂に帰ってきてもらおうとしました。その時期が今のお盆になったという説があります。
Q5 七月盆と八月盆
A 現在、盆の霊魂祭祀の期間は、太陰暦から太陽暦に移ったことなどにより、地域によって異なっています。
その期間は「(一)旧暦七月 (二)旧暦八月 (三)新暦七月 (四)新暦八月」の四つに大別されています。
日は大体十三日から二十日の何日間かになっていますが、七月一日を釜蓋朔日(かまぶたついたち)、八月一日を八朔盆(はっさくぼん)という言葉から、元はもっと長い期間だったのではないかと考えられています。
お盆は、経典にあるように七月十五日の行事なのですが、この七月は旧暦の七月ですから新暦に直せば八月になります。それに、季節の初物をお供えするという習わしが強いことから、初物を収穫できる時期、つまり農作物の収穫時期に合わせなければなりませんから八月になったところが多いようです。
Q6 お盆の期間
A 八月に入るとお盆です。八月一日から十五日迄がご先祖様をお迎えするお盆です。しかし一般的には、十三日の夕方から、十五日、もしくは十六日の夕方となっています。ですから、十二日に仏壇の掃除をし、精霊棚を飾り、先祖をお迎えする準備をします。
昔は、お盆に入る十二日の夜から、十三日にかけて「草市」「盆の市」「花市」と称される市が立ち、精霊棚のお飾りやお盆に必要な物を手に入れることができました。
特別な習慣の残っている地域では、七月(八月)に入ると直ぐにお墓の掃除や盆道をつくる準備をするようです。
能勢地域でも迎え火を十三日の夕方に焚かれる家が多いようです。けれども、実際には、十三日には地元の棚経参りの日にもなっていますから、棚経にお寺さんがお参りされるまでにお迎えいただいた方が良いと思います。
能勢地方の送り火は、十五日の早朝のようです。それも午前零時を過ぎたら先を争って近くの川の端などで、送り火を焚かれるようです。
夜が明けてから送るという人もありますが、「早く送ってあげた方が、彼方の世界でよい場所を取ることができる」と、言う理由が一般的な解釈のようです。特に新ぼとけさんが遅れると他の人の荷物まで持たされるから可哀想という話もあります。
十五日から施餓鬼法要を勤められるお寺があることからすると、それまでにお送りしないといけないと言うことでしょう。
いずれにしても、お盆とはご先祖様をお迎えし、できるだけの供養を施し、そしてお送りする行事であり、ご先祖様と生きている自分たちとの命の繋がりを実感する行事でもありますから、その期間中(八月一日~十六日)の細かい日程に拘ることはないでしょう。
Q7 お盆と藪入りの関係
A 「盆と正月」という言葉が聞かれるほど、日本人にとってお盆は大切な行事と考えられています。またお盆といえば帰省ラッシュがあります。「盆と正月がいっしょに来たよう」という表現もありますが「非常に忙しい様子。また、うれしいことや楽しいことが重なること」と解説されています。
この様にお盆に帰省する習慣はいつごろから始まったのでしょうか。
江戸から明治にかけて、お正月とお盆には奉公人が休みをとって実家に帰ることができる時期があり、これを藪入りと言いました。藪入りは、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることのできる時期でもあり、自分と自分の実家の繋がりを確認する大切な行事でもありました。町中に出てきた奉公人が、休みをもらって田舎に帰る。その草深い田舎のイメージが「藪に入る」という表現になったとも言われます。
つまり、他家に嫁いだ女性や他郷で働く人たちが、郷里に帰って先祖の霊を供養する習わし。それが仏教の盂蘭盆と融合して、「お盆の帰省」につながったと考えられます。
藪入りの日は一年に二回、正月十六日と八月十六日とされています。その十六日は閻魔(えんま)様の縁日であり、殊に正月と八月が大縁日となっています。そのため「地獄の釜の蓋(ふた)が開く」と言われ、海に出ることを禁じてきました。
また、この日だけは地獄に堕ちた罪深き亡者たちも責苦を受けずにすむ日とされています。そのため娑婆(しゃば)にいる人間も仕事を休もうと言う事になったようで、いつしか藪入り(休日)も、この日を挟むようになったそうです。
この時は、地獄の十三詣でをする人もあり、江戸を中心に各地の閻魔堂では、帰省を兼ねた奉公人などの参詣で賑わいました。
★大阪豊能宗務所発行『供養の心としきたり』より★
帰省 / 中島みゆき cover